この国は西の隣国と三百年に渡って戦争を続けている。ゾロは西側の国境近くに生まれ、その戦争を糧にして生きてきた人間だった。腕一本が命の全てだった。ゾロの腕は高く買われ傭兵稼業はいつしか身銭を稼ぐものではなく生業になっていた。
幼いころ描いた夢を忘れようとするかのように、敵を斬り続けた。
けれどそれは青年になるまでの話。ゾロが十七にもなる頃には戦争は終結が囁かれ始めていた。西側が講和を持ちかけていると噂があった。
その真実がどうなったのか、ゾロは知らない。戦争が終わる前に戦いの最中で敵に捕まったからだ。
それからどういうわけか囚人として首都D区――犯罪者収容区域に放り込まれた。首には爆弾首輪を括り付けられて。
そこでは目覚めていきなり殴られ、療養所のベッドから引きずり降ろされた。そのときのチャンピオンだった男と取り巻きに連れていかれた先で犯されそうになったが、もちろん返り討ちにしてやった。ゾロは一日でD区に名が知れ、そのうちに闘技場に出入りするようになった。これもただの金稼ぎだったのがいつの間にか定席になってしまっている。今では初日に喧嘩を売ってきた男に取り代わりチャンピオンだ。
サンジに会ったのはその中の自然な成り行きだった。
飯場で働くその男には色事の噂が絶えなかった。それもよろしくない類いの。女好きなのは区内でも有名な話だったのだが、彼が男とでも寝るのだと誰かが言った。それに誰かも頷いた。けれどゾロの目にはそんな風には見えなかった。表立っては誰も粉をかける者はいなかったし、彼に薄暗さは無かった。いつも健全な笑顔と声で働いていた。
闘技場の帰り、ゾロは酒場に寄ろうと思っていたがどういうわけか辿り着けず、夜明け頃に宿舎への帰路を探している途中だった。路地の薄暗がりに人影があった。そこでサンジは男と居た。後ろから体を抱かれながら煙草を吸っていた。ほんの少しの間だけ目があって、二人とも逸らした。ただそれだけの邂逅だった。
次に飯場に行ったら無言で酒が出された。
つまりきっかけはサンジが作ったのだ。そうしてゾロを手招いて寝床を差し出した。けれど体は差し出さなかった。
うちに来いよ。そうは言ったけれど決して許さなかった。
試合の後、飯を食いに行った。酒が絶えずだされたので珍しく朝になりかける閉店時間までゾロはカウンター席を陣取っていた。そうしてまた珍しく、客は一人も残っていなかった。
「もう閉めるぜ」
「ああ」
ゾロは立ち上がった。今日稼いだぶんの小銭をぞんざいに置くと、サンジはゆるりと視線を上げた。その合った目が、いつだか見たものだ、とゾロは解ってしまった。だから少しだけ、何かを期待した。
「俺んちに来ねェか?」
けれどそう言ってにやりと口を歪めるように笑ったサンジは普段の皮肉ったらしい笑みを浮かべるだけで、路地の薄暗さなどどこにもなかった。
本当が知りたいと思ったのは嘘ではない。健全さの裏側には何が在るのか…それを興味と呼ぶのは容易いが、少しばかり執着が濃い感情はゾロが覚えた事のないものだった。
結局ゾロはサンジの家で風呂に入りソファで眠り昼飯を食った。午後、サンジは煙草をふかしながら本を読んでいた。ゾロはそれをベッドで転がりながら見ていた。それだけだった。
それからゾロはサンジの家に居着いている。サンジも何も言わない。ゾロが居るのが当たり前だというような顔で生活を続けた。そこには男女構わず寝るというサイクルも組み込まれていた。
最初は気付かなかった。ただサンジが異常なのだと思っていたのだ。
ゾロには考えられなかった。自分が部屋に居るのに女を連れ込み、目の前で事に及ぶサンジの脳味噌がどうなってるのか皆目見当もつかなかった。それどころかサンジは男に抱かれるのにも羞恥を覚えないようだった。
初めて見た時は吐き気すら覚えたが、毎日のように見せられれば慣れてしまう。
そう、毎日のように。
つまり毎日ではないと気付いたのは少し経ってから。
サンジが誰かを連れ込むのは決まってゾロが試合に出た日だった。そのころには金もそこそこ貯まっていたし胸糞悪いものを見るなら、と思って試合に出ないで部屋にいるとサンジは少しだけ早く仕事を切り上げて帰ってきた。夜中だけれど晩飯を作ってくれた。サンジの行動が違うのは顕著だった。
でもサンジは何も言わなかった。
***
「酒…」
日付が変わる少し前、腹が減って飯場に来ればサンジは忙しなく働いていた。ゾロはいつものカウンター席に座ると不機嫌そうに言った。実際ゾロは不機嫌だった。午睡から目覚めたらサンジはとっくに出掛けていたからだ。
「はいよ」
ドンッと置かれたジョッキに口をつけながら、サンジを伺い見る。
「今日こそツケ払ってくれるんだろうな?」
「あ、……忘れた」
サンジの顔を見る事しか考えていなかったゾロは換金所に行くのをすっかり失念していた。けれど元々期待していなかったのかサンジは大して怒るでもなく突き出しを置いた。
「テメェが見かけによらず金持ちなのは知ってっからいいけどよ。そのかわり経営難になったら出資しろよ?自慢の刀で精々稼いでこい」
「…俺が最近、試合に出てないの知ってんだろうが」
仕方なしに反論する。
「ああ、そうだっけなァ。何で出ねえんだ?」
知ってるのか、知らないのか。ゾロは苦虫を噛み潰すような気分がした。
お前を誰かに取られたくねえからだよ。
解ってるんだろ?
頭はそう言っていた。でも口には出ずに、ゾロは「…面倒くせえんだよ」と返しただけだった。
サンジはにやりと笑って「無精者め」と言った。
夜半になってしまうより前、つまりサンジよりも先にゾロは部屋へ帰った。そうしてまたベッドに踞った。とろとろと這い寄ってくる睡魔を出迎えながら、独りを噛みしめた。
そうするとドアの開く音で意識が浮かぶ。
幾つかの物音がするしばらくの間、ゾロは目蓋の闇を見つめてその音の気配をただ追った。扉の開閉、足音、布がバサリとまとまって落ちる、足音、蛇口から水、スイッチ――移動の激しい足音のみが近づいて、止まる。最近の音はベッドのスプリングの軋みだった。
ゾロは薄目を開けて滑り込んだ塊を確認した。背中を向けているサンジの金髪をそっとつまむ。
我慢できずに背中を抱いた。
髪に鼻を突っ込んですん、と嗅ぐとさすがにサンジは首を竦める。
「あにしてんだよ」
金髪頭からはサンジのにおいしかしなかった。ゾロは少しほっとする。今日は試合には出なかったが家に連れ帰らなかっただけかもしれないから、検査をする。そうとは言わないが。
自分以外の人間にサンジを渡したくない。
ひとりよがりな独占欲だとは知っていたが制御も我慢もするつもりはない。ゾロはこれまで他人にそんな感情を抱いたことがなかったけれど、これが手放してはならない大切なものだということくらいは解っていた。
解っているからこそ無理にもぎとるのは怖かった。
精一杯手を伸ばして取った果物でも力の入れすぎで潰してしまっては意味がない。香りが染み付くだけ余計に寂しくなるに決まってる。
「煙草くせェ」
ゾロの腕の中でサンジはぐるりと方向を変える。こちらを向いて胸のあたりに頭を納めようとする。ごそごそと体勢を直してちょうどいいらしいところで止まった。
「お前は犬かよ」
そうかもしれない。ゾロはこじんまりした頭を抱え込みながら笑う。
尻尾を振って餌を待っているのは確かだ。
チャンピオンであるゾロには一般の宿舎ではなく自室が与えられていた。ふかふかのベッドに豪勢な食事、若くて美しい女だって望めば与えられる。
それが闘技場で一番強い人間の特権だ。
しかし部屋を手に入れたすぐあとサンジの部屋に転がり込んだ。だから部屋はたいして使用することもなく宝の持ち腐れとなっている。当然、女も呼んだ事がない。
ゾロにとってはサンジの作る飯のほうが美味いのだから、必要がないのだろう。
以前サンジは訊いた。
「だったらテメェのあてがわれてる所に帰りゃいいよ」
ゾロはサンジを抱こうとした男を殴って放り出した。そうしたら裸のままサンジは言ったのだ。その目は冷ややかだった。
「俺が気に食わねェならわざわざ居る必要はねえんだ」
素っ裸で煙草に火をつけて、ゾロを睨みつけた。それで、黙るしかなかった。
自分の言葉がサンジを動かすことはできない。そう理解した。だから好きだと告げることを躊躇う――きっと言葉は彼の胸の芯には届かないから。
ただサンジの部屋に居て、彼を留めるために試合に出ることを減らした。それはチャンピオンの座の安定を危うくしているけれど、ゾロにはどちらも必要なものなのだった。
チャンピオンは刑期を無くすための近道だ。そのうちくる御前試合で座を守れば特赦が下る。そうすればD区から出て何処にでも行けるようになる。A区に行くことも、このキスレブ帝国を出ることも、故郷に帰ることだってできるのだ。生きる場所を選ぶつもりはないがD区に閉じ込められているのは些か飽きてきている。
そしてサンジは、もっと深いゾロの心底にとって必要だと、その胸奥が叫んでいる。
「気に食わねえだと?………だったらここに居る。帰らねえ」
そう言葉を返すとサンジはニヤリと笑って、
「俺の邪魔はすんなよ?」
ゾロの頬を軽く叩いた。
彼の生活を乱すのを邪魔とするなら、ゾロの行動によって彼が勝手にサイクルを変えるのは邪魔とは言わないはずだ。というゾロの見解は間違っていなかったようでゾロが試合に行かなければサンジも大人しく部屋に帰ってくるという方程式が成り立つようになった。
けれど王座を守るには一定期間内にリングに立たなければならない。
それはサンジも知っている。D区に長く住めば自ずと解る事ではあるが彼がそれを知っているのはチャンピオン経験者だからだ。何代か前になるが、そこに確かに君臨していた。飯場に出入りする誰もが知っている。だから誰もサンジに喧嘩を売らない。体が目当てでも無理強いはできない。
ゾロですら、戦えば確実に勝てるという自信が、ない。
だからこそゾロはじっと待っている。サンジとの対話の時を。
ちらりちらりと見える心底が明らかになる時を静かに、景色の一部となって、待っているのだ。
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