訪れれば離れに通された。そしてサンジがやってくる。ぎしりと軋む床音に耳を澄ませながら俺は襖が開くのを待った。
「よう」
「……おう」
照れたように浮つく視線に心持ちを良くしながら、持ってこられた杯を取る。直ぐさま酒が注がれ、俺は液体とそれと繋がる白い手を眺めていた。くっと飲み干すと辛い味が体にしみる。
「てめえも飲め」
「この前も言いやした、俺は酒なんか頂く分際じゃ…」
「俺の酒だ。飲め」
こう言えば黙ってしまうのだから。まったく押しに弱い。
俺の手から注がれた酒は促すように見つめてやればすぐに男の喉元を過ぎていく。
あれからここに来るのは三度目だが触れた事は未だ無かった。警戒したようにきっちり一人分開けられた隙間を埋めるのは容易ではなく、俺は前回から酒という手段を使っている。といっても男は見た目のたおやかさにそぐわず上戸であった。よく飲み、我を無くすほど酔うこともなかったのだ。
それでも表情を消すことができなくなるらしく、俺の言に左右されころころと変化する面を見ているのはひどく気分が良かった。
今も、少し顔を赤らめて杯を見つめているが、視線を上げて俺が見ているのを知れば照れたようにそっぽを向く。
「どうした?」
「…ンな見られても、参っちまう」
こんな事を抜かすのだから、俺も随分と気長になったものだ。
「そういう顔をするから、年が行っているくせに粉をかけられるんじゃないか?」
もう少し毅然としていれば誰もからかわないだろうに。何せ幼子ではない。男好みの奴だって遊びで手出しする範疇からは外れた歳。もし本気でかかってくる者でも太刀打ちの仕様が有る筈だ。見世の男衆の一人という立場の所為で強く言えないのは解るが、どうにも危うい。
「餓鬼の頃からですよ。突っ立ってるだけでも俺ァどうも、そういう質らしいから」
サンジは顔の良い男だ。子供の頃ならば女子と間違われたのかもしれない。その度ぶすくれるサンジが浮かんだ。
生白い肌とか細い手足は稚児好みの男からすれば魅惑的なものだっただろうが、俺には餓鬼のサンジよりも今の方が良い。青年の健康さの奥に見え隠れする妖しさはどうだ。環境の所為なのか、サンジには自分すら解っていない妖婉さが指先からも声からも滲み出ている。恐らくそれが男共の声をかける所以だ。
「嫌なら嫌と言えばいい。この見世は女郎茶屋だ、とな。俺に言ったようにクソ野郎と言ってやれ」
笑ってやるとサンジは苦々しい顔をした。
こういう顔が好い。
「なァに、あんたまだ来てたの?とっくにふられたんだと思ってたわよ」
厠に立ったところ、廊下で出くわしたナミは相変わらず口も態度も悪い。俺はさっさと回避したかったが相手に袖を掴まれた。
「ねえ。あたしにしない?」
「何?」
「良くするから」
猫撫で声は遊女の得意技だ。ナミは器量も良いし相手を喜ばせる術も知り尽くしている。行く末は花魁にでもなるのかもしれない。よくも遣り手はルフィなんかに呉れてやる気になったものだ。
今更ながら首尾良くいった事へ幸運を思い、それから悪友の格を考えた。
そうして、女の手を振り払う。
「しねえよ。何であいつと同じ女で遊ばなきゃなんねえ。第一、てめえは嫌だね」
好きでも無い男相手に、この女がしそうな事くらい想像がつく。搾り取ることだけだ。
「じゃあどうしてもサンジくんなのね」
甘えたような声音を忘れたように普段のつんけんした調子に戻ったナミは俺を睨みつける。室内の灯りが廊下に漏れているだけの薄明るい中で、それはひどく力強い。
「遊び半分なら女にしてよ。あんたみたいのに取られちゃたまんないわ」
「誰が遊びだって?」
「男が好きなら陰間茶屋にでも行きな。サンジくんは売り物じゃないの」
あんまりな言い草に閉口するほか無い。俺を完全に悪い虫と認識したようだ。
「……奴を買う気はねぇよ」
「遣り手に幾らか渡してんでしょ?そういうの“買う”って言うと思うけど?」
「他の仕事させねえで捕まえちまってんだから払うに決まってんだろうが」
確かに金は払っている。最初に来た時は酒と部屋の分だけ、今はサンジが普段働いている分を足して渡していた。とはいっても暮らしぶりも知らないのだから貰う賃金も知らない。だから遣り手の要求した分だ。
「遣り手が許してんだから放っとけ」
「……あんたってあいつと違って多少頭が働くところが気に食わないわ」
本当にその通りなのだろう。ナミはそのまま去っていった。
部屋に戻ると男は以前のように胡座をかいていた。けれど酒には一口も手をつけていない。
「遅かったから迷っちまったのかと」
「いや、絡まれてただけだ」
「酔いどれにでも遭いやしたか」
俺が斜向いに腰を下ろすとサンジが銚子から酒を注いでくれたので、そのまま杯を飲み下す。温くなった酒は味が濃くて喉を潤すには少し重すぎた。
「ナミだ」
サンジは驚嘆した様子で眉を顰める。まったく、ころころと表情の変わる男だ。
「なんでまた…まさか俺が旦那、取っちまってるからとか」
「いいや。俺が気に食わないんだとよ」
何故とは言わない。思惑の行き交いなど教えてどうする。
「……やっぱり。ナミさんは不要な事はしねえから、あの人にそんな汚ェ口を利かせるのは大概俺の所為なんだ」
「あいつは随分お前に御執心のようだが」
「ええ…餓鬼の頃からこの廓で育ちましてね、本物の兄弟みてえに良くしてくれる」
二人とも同じような年の頃だ。そんな事だろうと見当はついていた。仲の良かった身内に手を出されるのが気に食わない、そしてサンジが満更でも無い様子だから、余計に気に食わないのだろうと。
可愛らしい嫉妬だ。
思わず鼻で笑うとサンジは怪訝そうに目を遣った。
「禿時分ならもう少し可愛気もあったか」
「ナミさんは何時だって可愛らしい女子でしたよ」
「なら、てめえを取っちまう俺だから、ああも憎たらしいのか」
そう言ってやるとサンジは弱ったように薄く笑んだ。
目を瞑り口端だけを少し上げる笑い方は俺に多くを悟らせた。肉親を想うようにナミを好いていること。俺の好意を許容していること。そしてサンジも少なからず俺に好意を持っていること。
だからその手を取った。
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