「ゾロは馬鹿だなー」
「うるせえ」
すっかり常の調子を取り戻したルフィはからからと笑った。自分の問題が解決すれば軽いものだ。俺を笑う余裕があるくらい上手くいっているようだ。
「てめぇは見た事あるか?あの男」
「さあ?ナミに訊きゃあわかるんじゃねェか?」
考える気すら無さそうでそれ以上尋ねるのは止めた。そんな話題を振ったせいですっかり廓に行く気になったらしいルフィは俺を引き摺ってでも連れていくようだ。
この前の借りを返す、だなんて名目で。
顔を見せると遣り手がやってきた。
「あのコが怒ってたわ」
勿論それはあの男のことだろう。俺は気まずく目を逸らしたが話は逸らせなかったようだ。
「貴方なら手出ししないと思ったのだけれど」
そうだ。俺は確かに男色ではないと言った。どんなに眉目麗しい輩が出てこようとも触手など動くはずもない――そういうつもりでいた。確かにあの瞬間までは。
「…面目ねえ。勘違いした」
「陰間はいないと、言ったでしょう?」
駄目押しされて俺には言葉もない。
遣り手の謎の微笑みはその心内を読ませまいとする。じっと見つめても何も出てこないのだと言わんばかりに遣り手は笑った。どこか面白そうですらあるその姿は幼い女児のようでもあった。しかし俺を手玉に取る事実は女狐のものだろう。
「あのコはよく間違えられるの。それでいつも困ってるけれど…」
ふふ、と声を柔らかくして視線を流した。
「相手に怒ったりはしないわ」
俺は謎の微笑みの奥を垣間見た。
部屋に通されるとすぐに襖が開いた。一瞬だけ、あの男かと期待する心持ちが有った事は自分にも隠せなかった。けれど襖を開けたのはいつかの女だった。
「アイツも随分な唐変木だけど、アンタも相当ね」
本当に口の悪い女だ。俺の前に徳利と調子の乗った盆を差し出すのでそれを受け取った。そのまま座る事は無かった。
あの食うことしか考えていないような男と一緒にされては名折れだ。
「…何故お前が知っている?」
返ってくる答えはルフィから訊いた、だと思っていた。けれどナミはちょいと首を傾げながら言った。
「怒ってたから。アンタにちょっかいだされたって」
反論は受け付けないと目が押し付けてくる。
「誰も呼ばないっていうから変だと思ったのよ。若衆好みなら見世に来ても良い事ないでしょうに」
「だから、俺は…」
決して男色趣味ではない。と言う前にナミが高い声で呼んだ。
「サンジくん、来て」
するりと開いた襖の隙間にはあの男が居た。こちらをじっと伺っているその顔にはあの夜の色は微塵も見えなかった。俺はそれに、見えない胸の奥を痛めた、気がした。
ナミは出ていった。これ以上は知った事じゃないとか言い残して襖を閉めた。その裸足の踝を見ているつもりで、俺の全神経は同じ部屋にいる男に注がれていた。
「…また、来たんだな」
はっきりとした硬い声だ。喜びも怒りもない。感情を押し殺そうとしているようにも思えた。男は襖の前に立ったまま、やはりじっとこちらを見ていた。
「来てもいいだろう?もう…買いてェとは言わねえよ」
俺もじっと見た。だから男が少し眉を寄せたのがわかった。
「陰間だと勘違いして、悪かった。それと俺には男に手を出す趣味はねェ」
何か言いたそうに開いた口は何も言わないまま閉じた。焦れったい気になって座るように手で示すと男は俺から手の届かない距離にそっと腰を下ろした。畳に裾が擦れて細かい音がした。さりりと鳴るそれは彼の髪が擦れた音に似ていた。
「てめえに手ェ出したのは気まぐれでも間違いでもねえ…てめえには触れてみてえんだ」
見つめた先、男は無表情だった。一瞬後にぐ、と何かを飲み込むようにして顔を凍らせた。瞳には涙が浮いてきた。
みるみる赤くなる顔を見ていたら、何故だか笑えた。
「お前、名は?」
今日は胡座でなく正座をしているがやはり猫背が小さく見える。俺は少し和らいだ気持ちで問うた。
「…サンジ」
「そうか、これからはお前に注いでもらう」
銚子を差し出すとサンジは戸惑った様子でもきっちり酒を注いだ。それは辛めの味で俺の口に合った。
俺は一本飲んでから一人きりで微睡んだ。また手を出したと言われては敵わない。サンジが俺を拒んでいないのはわかっているのだから時間さえかければ良い。
触れても嫌がりきれず、怒りもしないことで怒り、名を呼ばれて赤くなる。
それが誘っているとも解っていないのだから俺はゆっくりと酒でも飲むしかないのだ。
帰り際、俺は遣り手に金を渡して次からの算段を取り繕った。
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