いつもの部屋に通された頃にはもう辺りも暗い。ここのところめっきり日が落ちるのが早くなった。以前ここに来たときよりも夜が深い気がした。
 「――失礼致します」
 スッと開いた襖。膝をつく姿には見覚えがないが、項垂れる首筋ならばよく似たものを知っている。
 白い、足首。
 「お前…」
 中に入り、上げた顔は少年の頃を過ぎている男のものだ。
 「旦那、酒をお持ちしやした」
 確かに盆の上には徳利と銚子。けれどその顔にばかり眼がいく。
 「…?俺の顔に何か?」
 「いや…」
 きょとんとしている男は隣に座り、その銚子に酒を注いでいく。右手に持たされたそれを一口飲むと上等な辛口の味がした。
 「遣り手から旦那のお相手をするよう言われてるんで、今晩はお付き合い致しますよ」
 「お前がか?」
 陰間は居ないと言ったはずだ。真意を計りかねて男を伺い見ると彼は微かに笑う。
 「女の子がお嫌いなんですって?勿体ねえなあ、旦那の面なら喜ばれるだろうに」
 児戯にはしゃぐ女のように、男は笑った。白さを見せびらかすように小首を傾げるもんだから、俺はあらぬ思いを抱いてしまい、慌てて振り払った。触れてみたいと思った自分を疑った。俺は手を彷徨わせ置き場を求めた。その白に吸い寄せられてしまいそうな指先を叱咤しながら自らの膝を撫でてやり過ごす。
 「旦那がいらっしゃると浮っついちまって…今宵は誰か呼ばれるかもしれねえってね。まったく、羨ましい」
 「羨ましい?」
 俺はそのとき当然のように男が見世の女たちを羨んでいるという意味だと思い、聞き返したのだ。それに男も黙って頷いたのがいけない。
 だから酒を呷って銚子を置く、その手を掴んでしまった。








 猫背で胡座をかいている細身は小さく見えた。
 「旦那?」
 きょとんと見上げる眼球に橙の火が映り込む。感情は見えなかった。いや俺の目が曇っていたせいかもしれない。俺は目の前の欲望にやられていた。
 片手で肩を突き飛ばすと体は容易に傾ぐ。そのまま畳に擦れた手を縫いとめ、両足を跨いで潰す。足を絡ませればもう動くことはできない。同じ男でも俺のほうが圧倒的に力があった。呻き声と衣擦れが男の些細な抵抗のように思えたが抑止剤にはならなかった。
 「俺の相手をすると言ったな」
 男が頭を微かに上げると毛先が畳の上でざりりと鳴いた。それが聞こえるくらい顔を近づけると疎らな髪の間から吐息が漏れ、尚一層のこと俺を煽ってくる。
 「今晩、付き合ってくれるんだろう?」
 俺は唯一空いている左手で顔にかかる髪を摘む。そのまま触れた頬はやはり滑らかだった。しかし男は睨み上げるばかりで何も答えない。俺は益々そそられた。自分でも信じられないくらい熱を持っていたのだ。浮かされるようにその白を暴いてやりたいような気持ちになった。押さえつけて剥がして、赤い炎の前に晒してやりたい。
 右手を滑らせて袖の中を探る。そこまでして男はやっと口を開いた。
 「…勘弁してくれませんかね…俺ァ、そういうつもりじゃ…」
 肘を掴むと男はまた黙った。頬から首筋を辿り、そのまま襟から手を差し込むと肌の熱さを感じる。それでも男はきっぱりとした意思を見せなかった。身じろぐばかりで騒ぎもしない。
 「それじゃあ逆に誘ってるようなもんだな」
 素振りが無いなら殴ればいい。男はやっと俺の腕を掴んだが、手を止めるだけでどけようとはしない。それでは煽るのと同じだ。
 「男衆は裏方が仕事、旦那のお相手は姉さん方の仕事…俺に手ェつけるのはお門違いってもんです」
 視線を逸らしながら呟かれた苦言は建前にしか聞こえなかった。欲望で曇っているせいかもしれないが、俺には本音は違うのだと、気付けば良いと聞こえたのだ。だから迷わずに襟を開いた。鎖骨のあたりに口づけると後頭部を撫でられた感触がして、ふと顔をあげる。
 そこには複雑に歪む瞳が光に照らされていた。
 何を考えているのかは解らない。けれど俺には異常に艶めいて見えたのだ。それこそ、女の色香のように。
 「お前がいい…」
 俺は浮かされたように言った。
 男が陰間でないことは口振りからわかったが、だからといって引き下がれるような気分でもなかった。正体不明の熱が体中を巡り、情欲が指先からあふれるように勝手に動いてしまう。
 もう止められそうにない。
 「旦那は衆道だから女を…」
 「違う。俺は興味もねェ奴とは関わりたくねえだけだ」
 だからこそ、この男を逃がしたくない。









 男を相手するのは初めてだった。手順も碌にわからずただ欲のままに指を滑らせたが男の肌はそれをどこまでも許すかのように心地良い。また、制止させることもなかったのだ。
 そこにどんな思惑が隠されているのか、俺には知る由もない。甘んじようと心の隙間は唱える。この男を意のままに、若しくはこの一時でも触れていたいと言う。
 「あぅ……う…」
 小さな尖りを舐ると啜るような呻きが漏れる。頭を持つ手が時折ぴくりぴくりと指先だけで叩く。その反応は訊かずとも快いらしいと俺に教えていた。
 腕を差し込み腰を抱く。丁度良く収まるものだからそのまま抱いていると体の硬さで男だと思う、しかし欲が止む事はなかった。そろりと手を兆しへ伸ばす。やや持ち上がっているそれを掴むと男は声をあげた。
 「やっ、ちょ…旦那それァいけねえ…」
 抑止の手を掴んで指を絡ませる。谷間をなぞるようにしてやれば男は困ったような顔をした。見つめると潤んだ瞳とぶつかるので俺は笑ってみた。そうすると益々困った顔になった。
 「だめか」
 「…大旦那に叱られちまいます」
 まだ建前を引っ張る気らしい。仕方が無いのでその体を引き寄せて眉を寄せる表情を覗き込んだ。
 「俺がお前を買えば問題ねェだろう、あいつらは金がどこに入るかが大切なんだからな」
 それが悪いと言うのではない。ただ、彼らはそういう生き物なのだ。買った子供が幾ら稼ぐか、器量に見合った所に身請けされれば運が良い、病になれば不運だと嘆いてみる。それが生業なのだから俺がどうこう言うことではない。
 俺の言い分をどう思ったのか下がっていた眉は上がり、というより少々釣り上がった。
 「俺を買う?」
 俺は気圧された。さっきまでしおらしく戸惑っていたのが嘘のように反抗的ともとれる目で俺を睨みあげてきていたからだ。帯こそ解いていないがはだけてしまった着物は何も隠せていない。肩も落ち袖が引っかかっているだけでは上半身すべて晒しているようなもので、白い腹まで見える。脚だって太腿まで肌色が光っているのに。男はすっかり色気を無くしていた。
 「……あんた、何か勘違いしてねェかい?」
 男は呆れ半分怒り半分という口調だった。俺の胸をぐいと押すと二つの体に隙間をつくる。そうして片手で襟をそそくさと合わせた。俺は隠されたものをを直ぐさま暴きたくなったが男はそれを許さないだろう。じっと男を見続けた。
 「俺は売りモンじゃねえ。うちは遊女屋……陰間なんざいるわけねェだろ!」
 キッと睨みつけて叩き付けられた台詞に俺は面食らった。
 「だっ…お前が…」
 「俺が付き合うっつったのは酒の相手だ!」
 胸倉でも掴みそうな勢いの男に圧倒されて二の句が継げない。俺が押し黙ると男は本当に胸倉を掴んだ。一回は離した体を極近くまで寄せて、俺の鼻先で啖呵を切った。
 「てめぇなんかに一寸でも許した俺が阿呆だったよ!このクソ野郎!」
 一気に叫ぶとさっさと立ち上がって行ってしまった。
 俺は手から擦り抜けたものに呆然としていた。
 あれァやっぱり陰間じゃなかったんだなあ、なんて呑気な事を考えながら。





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