それからしばらく見世には足を運ばなかった。そのうちに季節は盛夏を過ぎ、遊郭の女臭さなど忘れかけていた。ここ半月くらいか、道場にばかり居た気がする。秋は過ごしやすい季節でつい鍛錬に気がいきすぎるようだ。
 あの縁側で月見酒…実に美味そうである。たまに鍛錬から気が離れると俺は酒盛りの楽しみばかり考えてしまう。しかしそれだけの目的で遊郭に行くのは少々憚られるものだ。理由が要る。




 訪ねてみれば、いつもうるさいくせにルフィは珍しく歯切れが悪い。
 「何もしねェって怒られたんだ」
 心なしか落ち込んだ様子だ。
 「もしかしてお前…」
 「俺、そういうつもりで通ってるんじゃねェし」
 「だからってな、郭に行って贔屓にしてる女がいて、何もしてねェのかよ」
 そりゃあ怒るかもな。あの女、気位高そうだし。
 「喋ってる。食べて、飲んでるぞ。」
 「…どうしようもねェなてめえは。」
 とりあえず引っ張って行くか。どうやら俺の月見酒はお預けになりそうだった。




 「何よ、こんどはあんたも一緒なの?」
 きつそうな目が睨みつけてくるのでまあまあ睨み返しておく。不機嫌そうだ。
 「このバカの非礼を詫びに…というのは建前で、引っ張って来ただけだ」
 通された部屋はこの女の部屋なのか、質素な佇まいである。小さな箪笥くらいしか物はなく、この女のさっぱりとした性格が伺える室内だ。遊女のわりに見栄や虚勢を張るつもりはないらしい。変わり者だ。
 「悪気があるわけじゃない、まだガキなんだ。」
 頭を叩くと黙っていたルフィが地団駄を踏んだ。悔しいが言い返せないというところか。
 「知ってるわ。誘っても手を出さずにあたしに恥かかせるくらい、ガキよね」
 「ああ。色気より食い気、こういうことはからきしダメでな。我慢してくれ」
 「そうもいかないのよ、こっちは」
 嘆息する女は少し疲れて見えた。
 「下世話なことは言いたかねえが…まだなんだろう?男」
 「…ええ」
 「んで遣り手にぐずぐずすんなって文句でも言われてるってとこか」
 「早く決めろって言うのよ、落とすか他の男にするか」
 「こいつはこれでも新造くらい軽く身請けできる身分だ。見世にはそう言え。焦って決める必要はねェってな。」
 なんなら俺が話をつけてもいい。我ながら常にないお節介さだと思ったが、馬鹿で自分勝手なルフィのことが意外に気に入っている自分を知っている。その程度の世話なら焼いてやる。せっかく惚れた相手ができたのならうまくいってほしいと思うのは当然だろう。
 好きな女がいる。俺は少々羨ましく思う。誰かに焦がれ共に過ごしたいなどと、感じたことは一度もない。
 俺はまだ恋を知らない。






 遣り手は案外あっさりとしたものだった。
 「そう。ならそれでいいわ。」
 ルフィの素性を詳しく聞くでもなく二つ返事で了承を得た。女は遣り手と言ってもまだ若く、むしろそこらの女よりもずっと色気が匂っている。遊女のように誘う素振りがあるわけではないが佇まいそのものが人の目を惹く。
 「すまねェな」
 「それより…あなたは?うちの娘たちも片手間仕事ではないのよ。見世に来てお酒を楽しむだけ…では少し利益が少ないの。うちの娘たちじゃ不足かしら?」
 「そういうわけじゃねェ。食指が動かねェのは確かだがな」
 ここの見世の質がいい、というのは聞いたことがある。俺自身で確かめてはいないが繁盛しているようでもある。つまり問題はあちら側にはない、むしろ俺のほうにあるのだ。
 道場で言われたことがある。どうも俺は人より淡白らしい。切羽詰まるような性欲も感じたことがないし女を抱くのもあまり好きではない。というより人との関わりが得意ではないのだった。
 「もしや、衆道なのかしら?」
 そういう風に言われることもしばしば。しかしそういうわけでもない。茶屋の経験はないが女にも湧かないものが男相手ではどうにもなるわけなかった。たとえば、女よりも美しいのならば話は別かもしれないが。
 美しいかまでは覚えていなかったが――あの白い足首の持ち主のように、中性的な男ならば、勘違いもできるかも、しれなかったが。
 道場では衆道を嗜むものもいる。もう少し若かったころは俺も色目にかけられることがあって、度々ちょっかいをかけられたが、今はそれもない。もう若衆の年頃ではないのだ。当時は弱いことの証明のようで苛ついたが、あの頃合いの若々しいたおやかさを好む気持ちも、わからぬではない。
 しかし、何にせよそうではない。だから断りのつもりで遣り手を見たが、俺は予期せぬ言葉を聞いた。
 「うちには陰間はいないの…」
 あれは、陰間ではなかったのか。だったら客か。
 闇に溶ける色を何故だか覚えている。顔つきも姿も記憶に無いが、あの優男は俺より若そうだった。
 「…とにかく、いらん。だったら酒を頼む」
 遣り手は少し首を傾げて笑った。





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