『あの人来たわよ』
そうメールが入ったとき、俺はちょうどコンビニが見えているところにいた。といっても百メートル以上離れているから店内の様子はうかがえない。
この一文だけで俺は昼飯一回を奢らなければいけない契約になっているが、そのことはこの際忘れることにしよう。
投網の代金にしては安いほうだろう。
入り口近くまで行くとガラスの向こう側、本棚の前に見覚えのある頭がうつむいている。間違いない。つむじまで金色だった。
扉を開けるとレジの店員と目があった。
感謝しろ、と言いたげなその視線に目礼を返して右に曲がる。
あの背中だ。横断歩道を走って消えたあの。
猫背なのか丸まっている背中は雑誌を熟読しているので振り向きそうもない。俺は声をかけようとしたがうまく声が出そうもなかった。手をあげれば震えているような気すらした。
ぐ、と力で抑制しながら、その肩に触れる。
「あ?――――あ」
振り返って訝し気だった目がぱちっと見開いた。
青い。
驚いた顔は俺と同じくらいの歳に見えた。
「雨の…傘の奴」
目が普通に戻ったら青は黒っぽくなった。
「おれの顔おぼえてたのか?すげ」
「傘、返そうと思って、このへん探してた」
嘘だ。傘を返すのは口実だし、探してたというより捜索網を張っていた。
隣の席の女は金にうるさいのが特徴だ。そいつが繋ぎのバイトをここにしたと言った。
奴がこの店を利用するのは唯一の心当たり、となれば賞金首にしてでも捕まえるのが一番手っ取り早い。
もう一度会えば、はっきりするはず。
そして今それは明るくなった。
「おれだって貰う理由がねえ」
こう言えば、返さなければならなくなる。そうなれば少なくとももう一回会う事になり、次の時間ができる。
必死すぎて策ばかり巡る頭は血流の音ではっきりしない。
男は視線を落とした。
「なら返してくれてもいいんだが…、いま持ってるか?」
朝の天気予報は晴れと報じていた、そして会えるとも思っていなかった。学校帰り。持っているはずもない。
男がズボンのポケットから出した途端、手の中で携帯電話が鳴りだした。といっても音ではなく振動と光で着信を伝えている。一瞬落としそうになったものの男は眉を顰めながらそれに出た。
「もしもし!」
そう叫ぶように言ったが会話もなく電話は切れたようだ。
漏れ聞こえたものは一方的な怒りの声。
「わりぃ、引き止めちまったか?」
どう考えても俺が足止めしている。顔色をうかがうと男は手を振ってくれた。
「いやいいんだけど仕事戻らねェといけねぇんだ。だから傘はまた今度でいいか?」
きた。次だ。
「どうやって渡せばいいんだ?」
たとえ道端で待ち合わせる、と言われてもそこから次を作る算段をつけよう、と思っていたら男はジャケットを漁りだした。そこからは見慣れない紙切れ。
「これ連絡先」
レストランバラティエ、副料理長。ってことはこいつ、コックなのか?これが?
サンジ。
俺は即座に空白だった名前をそれに置き換えた。
「次、雨が降ったらここに持ってきてくんねェか。そしたらその傘で帰るから」
願ってもない申し出だった。仕事場に行けるとは。
俺は頷きながら素っ気ない名刺をしっかり手に納めた。
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