(見られてたな)
 薄暗い男部屋はさっきと変わらず寝息をたてる男しかいない。あのとき触れた熱を思い出す。
 ウソップはそれを見ていた、どう思っただろうか、不審あるいは…いや、それしかないか。とにかく見られた。自分なりに不審ではないと言えるのに、どこか後ろめたい気になるのは何故だろうか。
 (別に、何もない。)
 思考を振り切ってサンジに近寄った。起こすために肩に手をかける。毛布から出ていた肩口はシャツ越しにも湿っているのがわかった。熱はひいていないらしい。
 少し触れただけなのにサンジは勝手に目をあけた。
 「…ん?ゾロ?」
 近くでぱちぱちとまばたきをするものだから睫毛の長さが強調される。ここも黄色か、とゾロは初めて気がついた。しかし本当は黄色というより茶色だったがこの薄暗い船室で、しかもゾロの乏しい色彩感覚では判別できなかった。ふうと息をつくサンジの目の表面は潤んでつるつると光ってみえる。
 「また夢でも見てたか」
 意識を確認するために聞くとサンジは首を振る。返事ができるのなら平気だろうとゾロは先ほどのチョッパーの危惧を尋ねた。
 「お前、この間の戦闘は覚えてるな?あのときどっか怪我してねェか」
 右上のほうを見ながらサンジは首を振った。
 神経をやられているのだろうか。船医は言わなかったがそれがどういうことかくらいはわかる。運動や感覚器に影響がでる――つまり最悪な事態だ。
 傷なんかなくて、ただの熱病じゃないのか。そう思ってみても診断の重みくらいわかっている。チョッパーは軽々しく結果を下したりはしない。
 船医の危惧通りなら。サンジは戦闘員はおろか、コックすらできなくなる可能性だってでてくる。
 もしそうなったら。
 (コイツなら船を降りるなんて言い出すかもしれねェ)
 一瞬、ゾロの胸に言いようのない虚無感がうまれた。恐怖とも違う、やりきれないまっくらな感情。これはどこかで覚えがある。
 (…あいつと違って死ぬわけじゃない、)
 けれどサンジがコックでなくなれば失うことに変わりはない。
 あの楽しそうに料理をしている背中は永遠に――。
 憂慮が一気に現実的になり焦りが湧く。思わずゾロは変な息を吐いた。そうして汗ばむ頬に触れてみた。
 頼むから、もう味わわせてくれるな、と。言葉にするかわりに祈るように。









 男が出て行ったあとの部屋は溜息がひとつと沈黙がいくつか、大体は重苦しい。
 「なんでゾロ、行ってくれたんだろ」
 ぽつりとした声だった。
 それに答えたのはもちろんこの場に居ない男ではなくて。
 「心配だからに決まってんじゃねェか」
 剛胆に笑ってみせると船長は「にしても腹減ったなぁ」と呟いた。空腹に違いない、普段よりも食事のボリュームが足りていないのだ。船上で彼を満足させられる人間は臥せっている。
 「あんた、なんでわかったのよ」
 今度は刺のある声だ。ロビンにはその拗ねたような横顔が微笑ましく感じる。場にそぐわないのはわかっているが、置いていかれた子供のようで何だか可愛らしい。重大なはずの現状が他愛もないことに思えてしまうのはこの船の美点だろう。
 睨まれて竦みあがりながらも彼は答える。
 「さっき下に行ったらゾロが俺に気づかなくてな…何してんのかと思ったらサンジの看病してたみたいだ。んで、なんか」
 いつもと違って優しくしてやってたからさ、と独白めいて言った。
 「何それ。つまりどーゆうことよ」
 「や、なんかサンジがガキみてーに甘えてて、ゾロも甘やかして…みたいな?あれはマジで具合悪いんだなぁ」
 何たってあのサンジがゾロに、だぜ?
 「確かに…。普段ならそんなこと絶対ないわね。でもゾロも大人になったじゃない、さすがに病人と喧嘩はしないのね」
 感心したように漏らす言葉には少しだけ安堵の響きが混じっている。
 (心配なのね)
 ロビンはまた微笑ましい気持ちになる。けれどすぐ他の事を想った。船室にいる二人の事を。
 「…本当に、大人になったから、なのかしら」
 彼もまた、ただ心配なだけなのだろう。ロビンは半ば確信しながら呟いてみせる。それを聞いてナミは「そうよねえ」と漏らした。
 ゾロが、サンジが倒れてしまってからどこか元気がないことくらい、船の誰もが気づいている。











 無表情なはずのゾロの顔が、なぜか、泣いているように見えた。もちろん涙なんかない。それでもサンジには理解できた、ゾロが哀しさに胸を掻きむしっているのが、心で叫びだしそうになっているのが、なぜか、理解できてしまった。
 もしかしたら頬に触れるコイツの手がやけに冷たいからかも知れない。
 「…どしたよ」
 しかしサンジはそこまで鈍感ではないのでゾロがここまで動揺していることの意味くらい思い当たる。だから自分も動揺していたが目の前の相手を見ていると少し冷静になる。
 (こいつが焦るなんて俺は不治の病か何かか?)
 ゾロの手が額を拭っていく。寄せられた汗が頭皮に流れていく感覚は気持ち悪かったが、前髪が軽くどかされて少し涼しくなった。同時に慣れない視界に変わる。
 両目でこんなにはっきりゾロを見たのは初めてかもしれない。
 「…なんか、面白ェかよ」
 「目ェあったんだな。てっきり見せられねえもんかと」
 「猥褻物みてーな言い方すんな」
 怒鳴ったりする元気はない。じろじろ見られているのに耐えられず目を閉じると目蓋を撫でられた。指先で睫毛を触られる、繊細な感覚がこそばゆい。
 目を閉じたままサンジは訊いてみる。
 「死ぬのかよ」
 誰が、とは言わなかった。手はピタリと止まり、その指先から動揺が伝わってくる。
 「答えろ、ゾロ」
 「…死ぬとは聞いてねェ」
 ゾロはこういうときに嘘をつかない。
 手が離れたから目を開けるとゾロはただの仏頂面に戻っていた。
 「じゃあ何でンな深刻そうな顔してんだよ。まさかお前」
 俺のこと、心配してんの?
 そう訊いてみたらゾロが思いっきり動揺した顔をしたので思わず笑った。珍しく、感情のわかりやすい反応だ。
 (たまにはかわいーじゃねェか)
 取り繕ったゾロはちょっと怒っているようだった。



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