[彼と彼女]



 呼び鈴を鳴らすと彼は笑顔で出迎えた。
 「あら、ゾロは?」
 促されてダイニングテーブルに鞄と腰を下ろす。部屋にはベーコンの焼ける匂いとスープの匂いが窓からの心地良い風に流されていた。
 部屋にはどう見てもサンジ一人だ。いると思っていたのに、そこにゾロはいない。明るい陽光がなんだか空回って見えるのは気のせいだろうか?
 「朝からバイト」
 声まで不貞腐れて聞こえるのだから不思議だ。ナミは少し笑ってしまった。
 「あいつが泊まっていかなかったから寂しいの?」
 カウンターテーブルから皿を運ぶサンジは両手がいっぱいなので大したリアクションも取れないまま、バツが悪そうにスープをナミに差し出す。湯気が立つそれはコンソメだろうか。続いて左手のサラダボウルは少し向こう側へ置かれた。

 「……寂しいっつうと情けねェかんじだな…――ヨーグルト食べる?」
 「うん。フルーツソースある?」
 「ラズベリーなら」
 「じゃあそれ」

 目の前にはベーコンエッグの乗ったトーストが置かれ、みるみる間に食卓は出来上がる。向かいにはサンジの分がセットされ、彼が席についたところでナミは再び話を戻すことにする。
 「聞いてなかったけど、あいつまたバイト始めたのね」
 「ナミさんも知らないのか。またコンビニかな?」
 「違うんじゃないの。あの制服ホントに嫌そうだったし」
 「確かに」
 それから二人は無言で食事を進めた。というよりナミが食べることに熱心になっていたので会話が途切れたのだ。
 いつもと同じ、けれど食べるたびに思わず笑顔になる食事。ナミがサンジに興味を持ったきっかけ。

 ふらりと入ったレストランで日替わりパスタを注文した。出てきたのはあっさりとしたボンゴレで、驚くくらい美味しかった。食べ終わって店を出ようと思ったときサンジはやってきた。頼んでもいないデザートを出してくれていきなり口説かれた。そんな扱いに靡くナミではないから、タダで食事を済ませることができる手段になるかもという打算で彼と付き合い始めたが、時間を過ごしていくうちに変わっていった。彼の行き過ぎとも言えるくらいの献身、料理への熱意、見かけとは裏腹な無邪気さ。そんなものに触れて友人を通り越したのだった。
 二人が共に朝を迎えた日も、こんな風にダイニングテーブルを囲んだ。
 けれどナミはそれが名残惜しいとはひとつも思わない。だって彼は別れた今だってナミを快く迎え入れてくれる、そして美味しい朝食を用意してくれる。

 「それで?やっぱり寂しいの?」
 ナミはヨーグルトをスプーンで掬った。真っ白に赤のソースがみずみずしい。
 サンジは紅茶の用意をしている。ポットを温めているらしく、こちらは見ないままだ。
 「…たぶんね。昨日初めて、別れ際に引き止めるようなことしたんだ。女の子にだってしたことなかったのに」
 そう言われてナミは記憶を探ってみたが、たしかにサンジは名残惜しいようなことは言うがはっきりと口にはしなかった、気がする。
 「ちょっとは居てくれたんだけど、あいつやっぱり帰りやがって…」
 ポットには完璧な目分量で測られた茶葉が充填される。熱湯が注がれればすぐに香りがたちのぼった。その馨しさに思わず目を細める。澄んだ芳香とは些かずれた、サンジの切なそうな視線がナミの心をえぐる。
 「俺、そのとき確かに寂しかったんだと思う。ひとりで寝るとき、そう思った」

 ナミは何も言えず空になったガラスの器を置いた。サンジの言葉は拙く、そのせいで余計に切々としたものを訴えていた。
 「あいつは女の子じゃないんだから、かっこつけずにわがまま言えばよかったのよ」
 相手は彼の心酔するレディではないのだ。ナミが思うにサンジは格好つけたがりで大切なことを伝え損なっていることが多い。
 「ゾロは器のでかい男よ」
 ティーカップを差し出したサンジは弱く笑っていた。
 「俺よりでかいよね、あいつ」
 以前はこんな風に相談をしたりはしなかった。サンジは姫を守るナイトの役回り。ナミに尽くすばかりで彼はその心の内側をさらけ出してくれなかった。とはいっても無意識なのだから不満の持ちようもない。別れてからのほうがよっぽどサンジは本音を言う。
 そんな関係性がナミは気に入っている。





素直になればいい