可愛らしい女の子が好きだ。俺の愛はレディたちのためにある。
 そう言っていなかったか?
 ゾロの頭には、ともかく疑問符が並んでいた。けれどサンジが必死なのはその表情を見ればわかる。もっと言えば、眼を見ればわかるのだ。決して嘘や冗談でもなく言葉を正しく使ったのだと。
 しかしゾロには真実が俄には信じ難い。
 「ゾロ」
 ともすれば聞こえないような声で、サンジは名を呼ぶ。
 好かれて嫌な人間もいないだろう。たとえそれが普段憎たらしい、クソコックと罵りクソマリモと罵られる間柄であろうと、大事な仲間だ。それはこの間、サンジが倒れたとき心底実感したこと。失うのは次の瞬間かもしれないのだから今を大切にしなければなるまい。だからこそゾロはサンジの、おそらく真実であろう発端を無碍にしたくはなかった。
 「俺はテメェのこと嫌いじゃねェよ。この前も言ったろ?」
 心配して焦ってビビって。らしくもなく動揺を晒した。
 嫌いな奴にそこまでしない。
 けれど。サンジの言葉は重さが違う、ような気がした。
 だからゾロは口を噤む。
 引っ込めるタイミングを逸していた手が緊張でぴくりと動いた。サンジは外すこともなくただじっとしていた。何秒か、何十秒か二人は動けずにいた。いや正確にはゾロだけが動けずにいた。張りつめた空気を下手に壊せばそれこそ…何かを失うような気がしていたのだ。
 触れた左手が遠い。
 「試してもいいか」
 そのゾロの手を包み込む。サンジの手は思ったよりも、彼の声音よりもずっと力強かった。そして熱かった。
 「何を」
 それ以上は聞けなかった。
 サンジが熱いのは手だけではなく、息も熱かった。こもる熱を唇で感じる。
 阻止しようと思えばできたのに接近を許したのは、その必死さゆえか、それともゾロの中に許諾の意があったのか、それを考える暇もないくらいサンジのキスは熱烈だった。苦しさに口を開けば舌でかきまわされ、継ぐ息は奪ってのみこまれた。頬から滑り落ちた手はサンジの肩を掴んでいたが離そうとも近づけようともできず、強ばって掴んだまま。もう片方だってテーブルの木目をなぞるくらいしかできない。
 やがて本当に呼吸が苦しくなって右手を突き放すまでそれは続いた。
 「ッ、げほッ……はァ、はー…」
 すっかりべたべたになった口の周りを拭うと、涙目で擦れた視界のなかでサンジが伺うような視線を向けてくる。それはまるで違う男のように見えた。見知った仲間の軟派なコックではなくて、弱り果てて持て余す一人の男がそこにいた。打算的に演技するほど大人になりきれず、だからといって何も知らず信じたまま飛び込めるほど子供でもない、そんな葛藤がサンジの眼からは見て取れた。
 ゾロは思わず口にする。
 「試してどうだったんだよ」
 それが自分を追い込むことは薄々わかっていた。けれど仕方ないのだ。ゾロは白黒はっきりつけることはつけたいタイプなのだから。ただしその結論がカラスが白でも構わない。単純に、行く道が決まらないのは収まりが悪いというだけ。
 だからサンジの結論がどうであれ受け入れるしかない。
 「俺はどうだったんだよ」
 「…やっぱ、好き。そういう好きだ」
 ゾロの結論も出ている。
 「俺はそういう好きじゃねェ」
 サンジは目に見えて傷ついた顔をした。そうなるのはわかっていたからゾロは右手――頬に触れ、唇を拭ったほうの手。サンジの感情を受けた証人のような手だとゾロは思う。きっと明日の夜も、その向こうの夜でも、右手を見れば今夜のことをふと思い出すのだろう。――で再び頬に触れる。そっと撫でると胸の奥のほうでぽつりと温かい気持ちになるのは。
 「まだ、そうじゃねェんだ」
 きっとそのうち変わってしまう。自分に似つかわしくない慈しみがサンジと同じ気持ちになるのは、きっとすぐだと、何故だかわかる。わかってしまった。
 きめの細かい肌。そこに落ちる金糸を払うと一度しか見たことの無い左目があった。色鮮やかなその瞳を見ると特別な気持ちになる。そわそわ浮き立つような、息苦しさ。それなのにどこか甘くて眼球の表面が痛くなる。変な気持ちだ。
 ゾロはその気持ちの名前をまだ知らない。
 「それまでちょっと待ってろ」
 両目をてのひらで隠して口付けるとサンジの唇はまだ濡れていた。












 ナミは溜息をついた。
 「なにやってんのかしら」
 「ふふ、仲良しね」
 隣に立つロビンを見上げると中天をとっくに通り越した太陽が眩しい。白い大きな鍔のついた帽子に涼しげなラベンダー色のワンピース。足下はサンダル。腕にはナミのブレスレットが輝いている。今日のスタイリングはナミがコーディネイトしたものだ。
 ナミもロビンから借りた濃紺に編み上げの紐がついているタンクトップにショートパンツを合わせている。
 夏島が近かった。二人はこうしてこの猛暑日を少しでも楽しく乗り切ろうとしている。サンジが冷たいトロピカルジュースを作ってくれたがそれは少々の和らげにしかならず、結局のところ汗だくになっているのが現状だ。
 男共は半裸で遊び回っている。
 平和である。
 「……ぎくしゃくは終わったみたい」
 見下ろす甲板ではサンジが大笑いしていた。ウソップが逆さ吊りで海に落とされそうになっているのをチョッパーが止めている。ゾロはにやにやしながら腕組みをしつつ、大胆なエサで海王類を釣ろうとしているルフィをけしかけていた。
 「そうね。コックさん楽しそうだもの」
 「結局どうしたのかしら?」
 ルフィの背中を押しながらサンジが海をのぞきこんだ。
 「あ」
 ばしゃーん。と派手な音がしてゾロ以外の全員が落ちた。水柱が崩れてぱらぱらと散る雫が光る。
 「落ちたわ」
 「そうね」
 船は進んでいる。落ちたうちの二人はカナヅチだと知ってはいるが女二人が動くことはなかった。
 ゾロがやれやれとばかりに動いたからだ。
 「おい、引き上げたほうがいいのか?」
 「あたしたちに聞かないでよ」
 海とこちらを見比べながらゾロが言うと下のほうから声が飛んできた。
 「ゾロ!受け取れよー、っとぉ!」
 ぽーん。と毛玉が空を舞った。それを両手でキャッチすると勝手に降りた毛玉はぶるぶると水気を飛ばして船医になった。
 ゾロが縁から縄をおろす。やがてそれに掴まってウソップとサンジと抱えられたゴムの塊があがってくる。
 サンジはぽいと我らが船長を捨てるとポケットを漁りだした。
 「あーあー…煙草が濡れたよ」
 「乾かしゃまだいけるんじゃねぇか?」
 「さすがにムリだろ」
 それをゾロに渡すとサンジは手早くシャツを脱いで水を絞った。こんな天気だ、さっきまできらきらと眩しかった金髪だったが、今では鈍い光に落ち着いている。ナミは濡れてうねった髪が首筋に張り付いているのに目を奪われた。
 男なのに独特の色っぽさがある。ナミはサンジの時折見せるセクシーな仕草に弱いのだ。ゾロのように男臭いのではなく燻るような色香があって、目の当たりにするとついつい見入ってしまう。声をかけるのも憚られるのだった。
 けれど後ろから近づいたゾロが容易くそれを摘んでしまう。
 ナミは息を呑む。
 「放っといたら塩とれそうだな」
 「マリモじゃねェから」
 濡れ頭をぐしゃぐしゃにし始めたゾロ。笑いながら抵抗するサンジ。それを微妙な顔で眺めるウソップ。ぽかんとしているチョッパー。ルフィは既に半裸だったため海水を少しでも落とそうとトナカイに倣って首を振っていた。
 「あっちぃから涼しくなってちょうどいーや」
 海王類の泳ぐ海で呑気なことを言っていられるのはルフィだからに他ならない。
 ナミは隣を再び見上げる。ロビンはいつものように微笑んだ。
 「怪しくなくなっちゃったわね、彼ら」
 怪しいというのは隠れている時に使う言葉である。こうも公然とやられては怪しくともなんともない。
 「そうねぇ…うまくいってるみたいだから、いいのよね」
 ばしゃん。先程に比べるとささやかな水音がした。
 「テメェ、俺まで!」
 「マリモには水浴びが必要なんじゃねーかと思いまして……涼しいだろ?」
 「後で覚えてろクソコック…」
 「三流のセリフだな。もうちょいひねった文句はねェのか」
 降ろしたままだった縄であがってきたゾロがその勢いのまま殴りかかる。
 「後はねえ、いま仕留めてやる!」
 「素手のテメェにやれるかよ!」
 ステップを踏むように避けたサンジがお返しとばかりに蹴りかかれば甲板はもう戦場だ。
 やれやれー。そんな適当なヤジを受けつつ二人は応酬を続ける。
 やれやれ。ナミはルフィとは違う意味でそう言ってタオルを投げることにする。
 「はいそこ!いちゃつかない!」
 二人が一気に振り返る。ナミはにっこりと笑ってみせた。
 健やかでまっすぐな喧嘩ならばよろしい。船が壊れるから行為自体は迷惑極まりないので続行はさせないが。
 「楽しそうで結構だわ」
 ロビンがくすりと微笑む。船長の腹の音が鳴った。
 今日も船は平和である。





書いた日090118
やっと終わり。長々だらだらしていますが、そのくらいが好きです。