のら猫の日記
ゾロは車を走らせる。他の車は疎らで運転技術は問われない。
夜の闇の中、ゾロが運転するボロ車は他の車のライトに照らされる。ゾロの母親の持ち物だったこの車は元々からしてボロで、それが使い勝手の荒い俺たちのせいで余計ボロくなっていた。
俺は助手席に座りながら棒のついた飴をくわえていた。しばらくそのまま両方とも黙っていたが、やがて飴がなくなると棒をくわえたままぼそりと呟いてみた。
「また車か?」
前を向いたまま、ゾロは答える。
「嫌か」
横目で見ていたゾロの横顔からフロントガラスへ視線を移す。当然そこは闇とそれを切り裂くヘッドライトくらいのもので何も見当たらない。時折小さな虫たちがぶつかって消えていく。
「虫が入らねェのはイイところだ」
「悪い里親だったからだ」とゾロは言った。
俺たちは同じ施設で育った。俺は親を知らない。先に施設を出て里親の所へ行った俺を、ゾロは誘拐した。俺としてはメシを食わせてもらえるだけでも悪い里親という気はしなかったのだが。殴られるのと車庫で寝るの以外は。
別についてこなくてもよかった。ゾロのやったことは完全に不当だ。でもそんなことどうでもよくなるくらい嬉しかった。確かに施設で一番一緒にいたのはゾロだったが、まさか迎えに来てくれるとは思っていなかったのだ。
前からゾロを信用していたが、この時から俺はゾロを最も信頼できる人間と決めた。ゾロならば自分のために何かしてくれる。
俺はゾロが好きだ。
でかい箱に入った菓子をつまみながら雑貨店をうろつく。まだまだガキな俺には自然な動作だ。そこにゾロが近づいてきて俺は振り向かずに言う。
「楽勝だぜ」
「ああ、そうだな」
ゾロが手当たり次第に棚の缶詰を箱の中に放り込んでいく。
「それマズかった」
「…」
掴んだものを何も言わずに棚に戻すのを見ながら、さりげなく辺りに気を遣う。
二人は現金を持っていない。今から万引きをするのだ。
適当な量まで箱が重くなったら何食わぬ顔で二人は別れて出て行く。
ついでに牛乳パックを裏返して見ておいた。そこには行方不明者の発見を募る広告が印刷されているのだ。あったのは自分ではなく知らない誰かの顔写真だった。ほっとしたような、がっかりしたような気持ちがふと過っては消えた。早くゾロと合流しなければ。
夜の中、ゾロはそこらへんに落ちている大きめの石を拾う。あらかじめ用意していたタオルに包むと窓に叩き付けた。音もなく割れたガラス。手を切らないようにしながら鍵を開けると易々と侵入できてしまう。
俺は絨毯を踏みつけながら新品の家屋の匂いをいっぱいに吸い込む。
俺たちの寝床で最上級といえば誰も住んでない家、モデルルームだ。不法侵入にはなるがベッドから家具まで全て揃っているここは最高。いくら虫が入ってこないとはいえ窮屈な車の中より断然イイ。
さっそく部屋の中を探索してみる。花柄の壁紙、白いレースがついたベッドカバー、革張りのソファー。まったく俺たちには不釣り合いだが一晩の宿くらいどうだっていい。ベッドにダイヴしながらゾロを目で探すと絨毯の上で腕立て伏せをしていた。
ゾロには夢があって「世界一強くなりたい」んだそうだ。理由は訊いても教えてくれない。その夢を叶えるためか、時々こうやって体を鍛えている。ゾロの腕っ節はホントに強くてそこらへんにいるチンピラくらいなら年上でも負けたりしない。最近は体も大きくなってきている気がする。
「乗ってもいいか?」
「おう」
上下する背中にぴょんと乗ってもそのままぐいんぐいんと動き続ける。それが楽しくて鼻歌をうたっていたらヘタクソと揶揄された。ムカついて立ち上がってジャンプしてやったらゾロはべしゃりと潰れた。
「寝る」
さっさとベッドに横たわるゾロはもう目をつむってしまっている。何となく遊び足りないような気持ちになってつついたり呼んだりしてみたが反応は薄い。仕方なく俺も寝ることにした。
並んでいるもうひとつのベッドに飛び込むが、どうにも寝付けない。
「…ゾロ、起きてる?」
「ん」
「そっちで寝ても?」
「ん」
もぞりもぞりとゾロの体が奥に寄る。俺は空いたスペースに滑り込むとちょっとだけゾロにくっついて寝る体勢を作った。その間にもゾロの呼吸は寝息に変わり、俺も慌てて後を追った。
俺たちの生活は行き当たりばったりのその場凌ぎ。食い物は万引き。寝床は不法侵入か車かテントで野宿。それ以外のモノも何とかして手に入れる。
ガソリンはその一つだ。
「ねぇ、今日は?夜まで居てくれる?」
ゾロの返事はない。
「んっ… あぁ、あん」
緩い、眠くなりそうなリズムで女の子の声がする。それに合わせて俺が寄り掛かっている車が揺れる。俺は両膝を抱えるようにして座り込みながらソレが終わるのをひたすら待った。
俺はこの時間が嫌いだ。退屈だしつまらない。でも仕方ないことなのだと自分に言い聞かせて、とりあえず遠くを見たりして過ごす。そのうちゾロが出てきて女の子も出てくる。そうしたら縮こまっていた手足をうーんと伸ばしたりしてもいい。ただここでタイミングを間違えると女の子に怒られたりするので気をつけなければならない。
「ホントよ。あなたのこと愛してるの、だから…」
ゾロはやっぱり答えない。
俺はこの女の子に嫌われている。ゾロと一緒にいるからだ。自分がゾロの隣に居たいと思っているのにそこに俺がいるから敵視されている。
でもゾロはガソリンを分けてもらえればいいだけなので彼女を隣に招こうとはしない。俺は彼女に嫌われてもいいと思っている。だってあんまりにも可哀相だ。
ゾロはセックス――それがどんなことかくらいすぐわかってしまった――をガソリンの代金くらいにしか思っていないのだ。女の子はきっとそれも知っているけれど。そのうち自分のことを好きになってくれるとでも思っているのかもしれない。
でも俺が思うに二人はずっと違うところに居て近づいたりはしない。
そんな風に俺たちは生活していた。でも俺は知っていた。こんな時間は長くは続かないと。たまに想像するちっぽけな未来でも俺たちはこの生活をしていたがその未来はちっとも信憑性がなく、では信憑性のある未来というといつも真っ黒になってしまうのだった。
万引きをするたび捕まることを考える。いつかゾロは愛想を尽かされて彼女からガソリンがもらえなくなって車は走らなくなる。そうでなくてもオンボロな車だ、どうなるかなんてわからない。
そういう暗い想像をするたび、ゾロがどこへ行くのかを考えた。きっと俺はそれについていく。いきたい。でもゾロがそれを望まなかったら?
事件は起きた。
「ぐぁッ!」
「テメェ何しやがる!」
「逃げるぞ!サンジ」
手を引っ張られてもたつきながら走った。車のドアを開けられなくて追いつかれたけどソイツをまたゾロが殴った。吹っ飛んだ男は砂利の上を転がる。
「さっさと乗れ!」
助手席に乗り込むと後から乗ったゾロがエンジンをかける。
「待てッ」
目の前に立ちふさがった男は躊躇いなく発進したバンパーにぶちあてる。まだそれほどスピードの出ていなかった車体はダメージを与えられず男は車を止めようとしてくる。それでも無視してゾロはアクセルを踏み続けた。
今日もいつも通り、万引きをしようとしただけだった。変わったところといえば普段の寂れた店ではなく少し栄えた店だったくらいか。
店に入ろうとしたら入り口付近にたむろしていた男と目が合った。思えばこれがいけなかったんだろう。完全に目をつけられた。
声をかけられたところを見ていたゾロが飛んできて、そのまま蹴り。殴り。逃げて、車で轢いた。
ゾロはそのまま車を走らせる。相手が口でも切ったのか拳には黒ずんだ血がついていた。
「店員に見られてた…通報されたかも」
俺がそう言ったきり、返事もなく車内は無言になった。
多分ゾロも同じことを考えている。このままじゃいつか捕まる。通報されていたらそれが早まっている。俺はビクつきまくっていた。
無言のまま車は走った。ゾロはひたすらフロントガラスの向こうを見つめていて、俺には何を考えているのかさっぱりわからなかった。ただ俺はずっと終わりを考えていた。この生活の終わり。
今まで万引きやら不法侵入は繰り返していたが決定的なことはしてこなかった。それが傷害となると一気にレベルアップしたかんじだ。もう逃げられはしないだろう。俺はちいさな頭で考えた。
このままじゃ二人とも捕まってしまう。きっと重い罰が下されるだろう。ひょっとしたら刑務所なんかに入れられてしまうかもしれない。当然そこでは俺たちは今みたいに自由に一緒に居られたりしないだろう。ゾロと離ればなれになってしまう。
それどころかもう二度と会えなかったら?
俺はその自虐的で他愛もない想像に窒息しそうな気になった。空気がなくなって生きることすらままならない。俎板の上にあげられた魚みたいにぱくぱくと口を動かすのだろう。それでも誰も助けてはくれない。それが俺たちへの罰だからだ。
俺は恐怖した。暮れゆく空すら終わりを意味しているように見えた。
車は止まった。ごつごつした道の路肩、周りは木ばかり。すっかり姿を隠してしまった陽が差し込むこともなく、森は薄暗い。
「…ゾロ」
「……」
ハンドルに頭を押しつけているゾロは何も喋らない。ゾロが黙っているのはいつも通りで慣れたものだったが、この時だけはひどく緊張した。俺は拳をぎゅうと握りしめずっと考えていた言葉を捻りだした。
「自首、しよう」
それしか罪を逃れる術はなかった。俺にはそれだけが俺たちの罪を浄化してくれる方法であり、他には破滅しか思い描けなかったのだ。
「なんでだよ」
「さっきの絶対やべェだろ、今までだって、ずっと」
ずっと悪いことをしているのはわかっていたんだ。でもゾロと一緒に居たかった。だから付いていった、ゾロがするなら悪いことでも進んでやった。でも本当はそうじゃいけないとわかってもいた。
俺たちは二人で居たかったけれど、もっと別の方法があったはずだ。
万引きした缶詰じゃなくてゾロとマトモなメシが食べたかった。展示用のベッドじゃなく自分のベッドでゾロが寝たか確かめたかった。自分の家でゾロの腕立て伏せを手伝いたかったし、逃げる為のガソリンを稼ぐ時間なんて無くなればいい。
「おれも一緒に行くから…頼むよ」
目をしっかり開けていなくちゃと思っていたら涙がでた。一度出たそれはぼろぼろと崩れ落ちるばかりで収まらない。そのうち息もままならなくなって俺はしゃくりあげた。
罰を受ければ。いつか俺たちはまた一緒にいられると思いたかった。それだけが真っ暗な想像の中の唯一の光だった。
車は走り出した。向かう先は警察署だ。道も距離も知らなかったが目的だけはわかっていた。
俺は涙を拭うと一生懸命喋った。離れる間のぶんまで。ゾロが俺を忘れないように。また一緒に居ようと思ってくれるように。
それでも元々会話が多いわけじゃない俺たちはすぐに無言になった。黙ってしまうと窓の外の闇が早く過ぎているように思えて不安になったが、ゾロは喋らなかった。ただ時間と景色だけが過ぎた。
駐車場に車を止めると二人で歩き出した。俺はゾロの後をついていく。その背中を見ている間に玄関までついてしまった。
大人に見つかると後は早かった。
ゾロは傷害どころか誘拐犯として捕まり、俺は保護された。
「なんでだよ!ゾロ!」
叫んだけれど俺は大人に止められ、ゾロは連れていかれた。手錠をかけられて歩いていくゾロの背中はさっきとまったく変わらず凛としていた。
二年後、その空は鮮やかに晴れていた。
抜けるような青空にグレーの塀が永遠と続く道を歩く。俺は少し高くなった視点で塀を眺めていた。鉄格子の向こう側には門番の看守が仕事をしていた。立ち止まって煙草を吸い始めた俺を看守は不審そうな目で見る。
「おい、何か用か」
「ああ。人を待ってる」
煙草が一本終わる前に待ち人はやってきた。
何やら手続きらしきものが目の前で行われ男は鉄格子を抜けた。少し伸びた緑色の髪は今日の空と見劣りしないくらい鮮烈だ。身長もあの頃よりは伸びたように見える。体つきなんて比べ物にならない。きっと俺の知らない塀の中での時間がそうさせたのだろう。
「…待ってたのか」
ゾロの声はあの頃よりも低く、大人のような男の声になっていた。俺は泣きそうになるのを堪えながら煙草を下に落として踏み消す。
「クソ遅ェよ」
それでも涙は滲んだ。ゾロは近づくと俺の頭を荒っぽく撫でた。俯かされたおかげで涙は砂に落ちて見えなくなった。
「行こうぜ!向こうに車置いてある」
相変わらずでっかい手を握って砂地を行く。
俺たちは重い荷物をおろして軽くなった体で歩く。俺の未来の想像はこうだ。ゾロと二人であのボロ車に乗って晴れた太陽の下を走る。そうして帰るのは俺たちの住処だ。そこで俺が作ったメシを二人で食べる。そんな明るい未来。
ゾロは当たり前のように運転席のドアを開ける。俺も当たり前のように助手席に座る。
「じゃあ行くか」
そう言ってゾロはエンジンをかけた。耳慣れた音が体に響く。
「行こうぜ」
あの時と同じ角度。俺は少し変わったゾロを見る。
やっぱり俺はゾロが好きだ、と思った。
書いた日101026 同タイトル映画から