正夢
暖かな色をした場所だった。見たことあるような気がするのに初めてくる所だと何故か知っていた。
突然、目の前に子供が現れて俺に問う。
「剣は重いか?」
とても落ち着いた声音が耳を介せずダイレクトに脳味噌に浸透していく。
剣の重さ。そんなことを以前誰かに言ったな、と思った。
「当たり前だ」
答えると子供が笑う。並より痩せた少年なのに健康そうな笑顔だった。
「死ぬことも重いんだぜ。人間なんかすぐ死ぬ。お前も知ってるだろ?」
ああ。知ってる。
思い出すのは少女の死に顔だ。
少年の小さな手が俺の腰元まで伸び、刀の柄を撫でた。大切なものを慈しむような手つきは俺と二人きりのサンジに似ている。
悪戯そうに笑ったと思えば壊れ物を扱うように触れるあの手。俺の体なんか。男の、鍛えられた体だ。触ったくらいで壊れるわけがないのに。サンジはそうして言外に愛しさを伝える。器用で不器用な指先。俺にはそれが大切で、なくしたくない。きっとあいつも俺のことを、そう思っている。
見た目にそぐわぬ諭すような声音で少年は言った。
「でもお前は知らない。」
刀から離れた手が腹に触れた。力を込めて押す指先はまだ幼い。
「お前の命はすぐなくなるくらい軽くて、それでいて重いもんなんだ」
白い上着が透き通るように光りだす。黄色い光が映り込むので髪が金色なことに気付いた。彼は愛おしそうに俺の腹を撫でる。その手つきは完全に覚えのあるものだ。
似ている、んじゃない。
「お前は全然わかってない」
そこにいたのは確かにサンジだった。
「俺にとってお前がどれだけ重いか」
子供のサンジは相変わらず煙草をくわえていたけれど火はついていなかった。そのころの姿なんか見たことがない。でもコックコートは彼に馴染んでいた。
「死ぬな。生きてろ、俺のために」
いつも通りの生意気そうな面をしているのに目から涙がぼろりと落ちた。子供らしくない泣き方で、こいつが今のサンジだと感じる。
「サンジ」
呼んだ途端、白かった空間が隅から赤くなっていく。それは彼の服も同じで徐々に赤に浸食されていく。血のような色が広がるのを止められない。
「守ってばっかりいるお前のことは、俺が守るよ」
サンジ!
叫んでも声がでない。手をのばそうとしても持ち上がらない。そのうちサンジは赤に埋まっていく。
呼吸もできなくなり苦しさにもがいていると赤は黒に滲み、混ざって消えた。
「ゾロ!起きろっこの役立たず!」
目を開けたら何やら甲板が騒がしい。ばたばたとナミとウソップが走り回っている。
どうやら有事のようだ。
野太い声が聞こえるあたり敵船来襲かと判断をつけ、傍らの三刀を腰にさす。
「てめえ戦闘員だろうが、いつもの野生の勘はどーした?」
振り返ったサンジは見慣れた黒いスーツで、夢と同じ銜えタバコ。
「…うるせえ。夢見が悪かったんだよ」
「へえ?どんな夢」
二人で船縁に立つと既に相手船の甲板で暴れているルフィが見える。船はさほど大きくないが数はそこそこ。どうやら手応えのありそうな雰囲気だ。
「てめえがでてきた」
サンジがこっちを見た。驚きと疑問がまざった表情をしている。
「そりゃ…」
言いかけたところで二人の間に何か飛んできた。
そちらを見れば腕に自信があるのか、仁王立ちしている男が見える。どうもナイフを構えているのを見る限り、投げたのもナイフだろうか。
「…邪魔が入ったな。あとで内容言えよ?気になって眠れなくなる」
ニヤリと笑うとサンジは跳んだ。その笑い方が夢のなかの子供のとは違う無邪気さを持っていることに安堵した。
夢は暗示。
気付けばよかった。
今更、遅い。
静かに横たわる顔は常より血色が悪い。元々血が透き通る肌色なのに今は象牙のようだ。それでも微かな呼気が彼の生を認める。そろりと吐き出した息は震えていた。
医務室には誰もいない。多分、ナミあたりが気を遣ったのだろう。
倒れた黒い体から広がっていく赤色が焼き付いている。
生気のなくなりつつある顔色を見てるしかない自分。
まるで肌の下に通っている血がそのまま体の外に出て行っているようだ。
手から、すり抜ける、いのち。
やっぱり声は喉に張り付いて出にくかった。
でも辛うじて出た名はほとんど声になっていなかった。
「サンジ」
今も同じだ。掠れた調子で呼んでみる。返事はない。
診断では命に別状はないとのこと。胸が動いているから息もしている。生きているのは見ればわかった。それでも、俺の頭の片隅にはあの夢のことがひっかかってて、どうしても信じられなかった。
早く目を覚ませ。
ずっとそればかり。
様子見の番を交代でしていた。そのあいだじゅう、願っていた。近くに居られない時はその顔を想い描いていた。
あのナイフ使い、俺がやればよかった。
別れてすぐに俺とサンジは別の相手と戦った。俺は剣士と、奴は挑発に乗ってナイフ使いと交戦。どちらも能力者ではなかったが単なる雑魚でもなかった。
俺が敵を下した直後、サンジに突き飛ばされた。急に体が吹っ飛ばされたから誰だか見えなかったがあの蹴りは間違いなく奴だと俺にはわかった。いつも喧嘩をしているおかげ、といえば聞こえはいいか。
結果的にそれは俺を庇うための行為であり、あの体には無数のナイフが刺さるはめになった。鋭い刃が大量に突き立ち、たちまち血で染まる体。俺には背中しか見えなかった。普段と同じ色彩の中で足下にぼとぼとと落ちた赤だけが異質で、見慣れているはずのものが全ておかしく映った。
血なんか、いつも見ている。相手の、自分の、仲間の、サンジの、誰のものだって同じ赤だ。海賊家業の上、俺たち一味はいつも危ない橋を渡っているから怪我なんて日常茶飯事で、俺なんか特にひどい。扱う武器が刃物であるせいもあるが進む道が傷無しではいられない道だ。おまけに毎日のように格闘沙汰までしている。
その相手が見慣れた血を流す。
ひどく遠い出来事だった。
それも一瞬のことで、俺はすぐに喧噪に立ち帰った。一歩ふらつく体が徐々に床に崩れていくのを間一髪抱きとめる。指に湿った感触がして、見たら赤くなっていた。
「何やってんだテメェは!!」
叫ぶ。覗き込んだ顔は痛みに歪み、口端からはやはり血。刺さったままのナイフを抜くのも出血が増えてまずいのかもしれない。とりあえずゆっくりと横たえる。
気配を察して剣を振った。
からん、と響く音はナイフだろう。
「バカ、さっさとアレ倒せ」
これが普段の俺たちだったら。この憎まれ口に反論しただろう。言われなくてもそのつもりだ、と。大体テメェがさっさと仕留めねェのが悪い、とか。そんな他愛のないことを。
俺はそれができなかった。だからひとつ頷いただけで、彼を置いて剣を構えた。
なるべく後ろは見ないようにして。敵だけを見るようにして。
そうじゃないと、今朝のように彼が赤に飲まれていってしまうような気がした。そして俺は手も伸ばせないまま。
サンジを失ってしまう気がしていた。
またここか。
今度は赤かったけれど、今朝の夢と同じ場所だと何故かわかる。そして真ん中に座っているのがサンジということも。やっぱり子供の姿でコックコートに銜え煙草だ。
「俺が死ななくてもテメェが死んだら同じじゃねェか」
声をかけるとサンジは振り向いた。今度は口元に火がついていた。
胡座をかいて煙草を離した口から煙がゆるりと流れていく。
「俺の自己満足だよ」
「何だそりゃ」
「お前が大事にしてるもんくらい、守ってやりてェ」
立ち上がったサンジは先程よりも今に近い。顔つきも背丈も。もう子供というより少年を過ぎようとしているほどだ。
腰までの身長が胸までになっている。
大きく、そして男らしく筋張った手が俺の胸に触れる。
見つめる瞳は俺の好きな灰青のガラス玉で。知らずほっとした。目を開けているからだ。
「…じゃあ俺が守ってほしいと思ってるってのか?俺だってテメェを守ってやりたいと思ってるとは思わねえのか?」
瞳が曇る。
俺の言葉は多分サンジを傷つけたのだろう。それでも、こいつは言わないとわからない。自分を惜しまないで他人のことばかりだ。
俺たちは互いにプライドがあることを知っている。たとえ本音では守りたいと思っていようと、それを口に出したら相手を対等に見ていないことになってしまう。本当は愛しいだけと理解しても、仲間として以上の庇い合いは信頼にも関わるし時には判断を誤るかもしれない。
サンジは強い。戦闘も心も、俺なんかよりずっと強いのかもしれない。そう思ってしまうくらいサンジは懐の広い男だ。
いつだって俺を許す。
ぶつかりあう俺たちはどっちも素直じゃなくて喧嘩ばっかりで、たちの悪いことにそれを楽しんでる。船長の後ろで並び立つために、いつだって肩肘張って同一線上にいようとしている。野望は違う道で、互いの譲れないものも違う、性格だって似ても似つかない。
混ざらない存在が、どこかしらに折り合いをつけて手を繋ぐ。
とても不自然なはずなのに俺には心地よい間柄で。それはサンジが俺を許すからに違いない。
何もわからない俺に仕方なさそうに手を伸ばす。
「しょうがねェやつだ」
こう言いながら。困ったように笑うのだ。
胸に触れている手は愛しさを隠しもしない。その指先から何か流れ込んできているような気すらする。
「自己満足だって言っただろ?俺のためにお前を守るんだ。お前の大事にしてるもんが傷つくのが、俺には許せねェ。お前もそうなんじゃねェのか?」
そう言われて俺に触れる手を見る。
戦闘には使わないけれど生業のおかげで傷が多い。火傷に切り傷。普通の人間より遥かにぼろぼろだ。それでも俺はこの手がとても愛しい。魔法のように料理を生み出し、この男が命だと言う手が。
大事でたまらないのだ。
「…そうだな。俺もこの手が傷つくのは許せねえ」
それをそっと握った。氷のように冷たいのは現実の彼が血を流して眠っているからだろうか。恭しく口づけるとサンジが鼻で笑った。
「気障なことしてんじゃねーよ…似合わねェぞ。そりゃ俺の役割だ」
見れば白いコックコートはすっかり普段の黒スーツになっていた。身長も俺と同じだ。どうやら現在のサンジらしい。
「仲間を守るのは当然だ。でもロロノア・ゾロは俺のモンだから誰にも傷つけさせたくねェ。いきすぎてる、つまんねーエゴだ。」
胸から離れて左耳に触れる。ピアスよりも冷たい指のせいで俺はぶるりと震えた。銜えていた煙草を吐き捨てて踏み消す。火は赤い空間に融けていった。
「でもよ、好きってそういうことだろ?」
確かに、そうかもしれない。俺は心のどっかで思っている。サンジのすべてを独占したいと。誰にも見えないところで俺だけのために、と。そういうのがサンジの言うところの“つまんねーエゴ”なのだろう。
「だったら仕方ねェよ。俺、ゾロが好きでたまんねェんだ。お前が血を流して強くなってくのがすげェ辛い。でもそれも仕方ねェんだよ。だから許してくれ」
ニッと普段のシニカルな笑みを見せると、一歩近づいてサンジはキスをした。一瞬だったけれどその唇には確かに温度があって、生きているとわかる。濃厚な血のにおいがした。
「…何を許せっていうんだ」
「俺のわがままさ」
背を向けて歩いていく。ポケットに手をつっこんで普段と変わらない後ろ姿で俺から離れていく。
追うことはできなかった。足が吸い付いたようで動かなくて俺はサンジを眺めているしかできない。
それでも不安は無かった。歩く足下から赤が消えていく光景が、まるで光の中に帰っていくようだったから。きっとサンジは朝へ向かうのだと思ったのだ。
それはもうすぐなのだろう。
目をつぶったつもりが、目を開けていた。
「…サンジ」
声は掠れていてほとんど音になっていない。どうも寝てしまったようだ。目の前のベッドではサンジが眠っている。触ると少し冷たい。普段より少し低いくらいか。少なくとも夢のような死体の冷たさではないことに安心した。
間違いなく生きている。死ぬわけがないのだ、この男がこんなつまらぬことで。
俺の命は重いと小さなサンジは言ったが、それはこいつも同じだ。サンジの命も等しく重い。どちらも相手のほうが大事だと思ってしまうのは「好きだから」だ。
首に顔を埋めると消毒液のにおいがした。
「俺もお前が好きでたまんねえ」
色恋に薬はない。この気持ちを抑える術も知らない。
「お前の言う通り、俺は全然わかってねえのかもしれねェが、お前はわかってるんだろうな」
好きだ、なんて。
俺はそんなに簡単に口にできない。自分がサンジのことを好きでたまらないと、言われて気付くくらいだ。
そう、たまらない。
倒れゆく姿を見た時、俺は言葉にならないくらい動揺したんだ。
ベッドに眠る顔を見ながら不安でおかしくなりそうだった。
もし、なくしたら。そう思うだけで俺はぐちゃぐちゃになる。
「…俺もわがままかもしれねェ」
野望だけ背負えばいいものを。まだ欲しいものがある。
そっと口づけた。夢とは反して唇は冷たかった。血の気も悪いから仕方ないのかもしれない。髪を撫でて頬を手で包む。温度が移せればいいのだが。
そうしてしばらくじっとしていた。
まぶたが一度、ぴくりと動く。
ふ、と思ってそこに口づけてみると今度は体のどこかが動いた。見てはいないが多分指先だろう。
「…狸寝入りか」
まだ目を開けようとしない。
唇に唇をつけてみる。
「サンジ、起きろ」
振動が直接その体に伝わるようにと願いながら。
体を離すとサンジがそっと目を開けた。
「…言っとくけど、狸寝入りなんかしてねェぞ。お前が至近距離で見てるから目ェ開けにくかっただけだ」
「知ってる」
ちょっと寝ぼけているのか目がとろけている。灰青の瞳がぼやっとしているのは結構珍しい。サンジは寝起きがいいから早起きしようが居眠りしようが起きたら起きるのだ。
結構な怪我の後である。いくらタフな男でも健康体の常時と比べてはいけないらしい。
手が伸びてきた。
「ゾロ」
抱きしめる。顔は見えないが背中を撫でる手つきが優しい。消毒液のにおいのする布団とそこに散らばる髪に顔を埋めながら、サンジの体の重みと形を確認する。間違いなくここに生きていると。
「…うっし。背中は無事だな!」
「背中?」
顔を見れば手柄を褒めてほしい子供のように、全開の笑顔だ。夢の中の子供の頃はこんな風に無邪気に笑ったんだろうか。どうにも可愛らしい表現だ。嬉しいとすべてで伝えている。
「背中の傷は剣士の恥なんだろ?」
あんなアホに傷つけさせてたまるかっての。
サンジは誇らしげに言う。
宝物を守れたとでもいうように。
「…それがわがままかよ」
「は?」
「俺だってどっかのアホにテメーの手はやらねェからな」
「へ?」
間抜けな声を出しながら首を傾げる様は本当に子供だ。
頭を撫でてやると僅かに赤面する。俺はあまり甘い行為をしない。どうにも照れくさいというのもあるが、そんなことをすると次に顔を合わせた時にどんな顔をしていればいいのかわからないのだ。他の連中が居る前ではあくまで仲間なのだから。甘さを漂わせていたくはない。
「…なんだよ。心配させちゃったか?」
やり返してやろうと悪戯っぽく言うが、俺はのってやらない。
「ああ。すげェ不安だった」
サンジはますます赤くなりおろおろしだす。
「ゾロ、…心配しすぎて壊れたか?」
「俺のわがままも許せよ」
「何がだよ?」
「そのうち言う」
ちょっと考えるような顔をしていたが、頷いたのでもう一度キスする。ゆっくりと閉じられる灰青。そこにある睫毛。
再び開いた目はもうきっちり普段通りだ。今にも食事を作りに行きそうなくらいの勢いがあった。
「ゾロのわがままなら、何でも許してやるぜ」
シニカルに笑う。料理にうまいと言われた時も、敵に向かって行った時も、夢の中でも、この表情を見た。俺はこの小憎たらしい自信満々の笑い方が一番サンジらしいと思う。強がりも嘘も全部本当にできる、この笑顔が好きだ。
「…好きだ、サンジ。お前が好きでたまんねえ」
驚いて、得心がいったのか優しく笑う。
「へへ、俺もだ」
髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて抱え込まれる。緩んだ顔を見られたくないのかもしれない。
そう思う俺の面も相当情けないに違いない。
「俺さ、寝てる間に夢見たんだ。お前が俺の手にキスする夢」
気障だよなあ。俺が女の子なら妊娠しちゃうぜ。
本当に楽しそうにサンジは笑っていた。
俺はそれを正夢にすべく、その手を恭しく掲げて口づけてやった。
書いた日080928 スピッツの同タイトルを聞いて思いついた話