無題(エゴ)
雨が降ってきたのは帰路の途中だった。ぱらつき始めた時は平気だと思っていたが雨脚がひどくなってきた。制服の袖口が色濃くなり始めて、俺は軒下を探した。
閉まっている商店のシャッター前、誰か先客がいたが薄暗い空のせいで影しかわからない。駆け込むと雨が遮断されてやっとと息を吐いた。
「奇遇だな」
急にかけられた声にその場で唯一の存在を見た。先客は眉を顰めながらそこに立っている。
「不動?」
「ああ」
この顔を見るのは久しぶりだ。世界大会以来、音沙汰もなかった。
「お前も傘持っていなかったのか」
「ああ」
張り合いのない返答に会話も途切れる。俺は仕方なく前を眺め、不動も何も喋らなかった。
秋の空が降らせる小雨はとても冷たく、走りだす事を躊躇わせる。濡れる事とせっかく偶然にも不動に会ったのにそのまま別れる事への杞憂みたいなものとが綯い交ぜになって踏み出す足が重い。
俺はもう少しそこに居ることを選んだ。
「お前、帝国に居るんだってな。佐久間に聞いた」
「おしゃべりな奴」
不興を買ったのか不動の横顔は硬い。
「同じチームだろう?会話に出る範囲だと思うが」
少しでも宥めようとして言うと不動は驚いたような顔で振り返った。
「…聞いてねえの?」
「何がだ」
「俺、サッカー部入ってねえよ」
一瞬どういう意味かわからず、不動の顔を凝視した。信じられない、というより信じたくない。それでも不動が甚く真剣そうなせいで信じるしかなかった。
「帰宅部」
小首を傾げる、その仕草は当たり前のことに驚いている俺を疑問に思っているように見えた。
「…なんでだ、サッカー、やめるのか」
声は呆然としていた。理解できなかった。脳が理解を拒否するのだ。
「やめるんじゃねえ、やめたんだよ」
責めるような視線に耐えられないとばかりに不動は前方に視線を戻す。目の前は相変わらず小雨が降り続けている。
「何か言いたそうだけど。別に俺がどうしようと俺の勝手だろ。鬼道クンには関係ない」
拒絶の言葉に反論もできない。
「どうせお前も勿体ないとか言うんだろ、佐久間たちみてーに。余計なお世話だ。俺にだって色々事情があるんだよ」
言い捨てる不動に迷いは見当たらない。もう決めてしまったのだ。今更どうやっても変えられない、そう言われているような気になった。それでも言わずにはいられなかった。
「言うに決まっている、だってお前のサッカーは――」
あんなにも鮮やかに生きていたのに。もうボールを追う姿も指示する声もなくなってしまったなんて。
悔しい。悲しい。辛い。渦巻くこの感情も言ってしまえば無関係なものでしかなく、不動を動かすことはできないだろう。
俺は思わず不動の腕を掴んだ。物理的にどうにかできるはずもないのに衝動で引き止めようとしたのだ。
不動は驚き振り返る。その瞳は硬質な口調とは違い揺らいでいた。きっと俺の目も揺らめいていたに違いない。
何か。何か言わなくちゃ。俺はまとまりもない感情の塊を言葉にし損ねながらも放った。
「俺はっ、お前ともっと…サッカーをしたかったのに」
それがどのくらいの力を持っていたかは知らない。それでも何かしらが伝わったと思えたのは不動の瞳がみるみるうちに潤んだからだ。深緑に涙の膜が張る。驚く暇も無く、不動は俺の腕を振りほどき体を翻して出て行ってしまう。雨が背中を打つのが見えた。俺は取り残されたまま遠ざかる背中をただ見ていた。
まだ一番上に表示されていた履歴を選んで発信する。すぐに電話は繋がった。
「鬼道?どうした?」
慣れた声が耳を打つ。佐久間はいつも俺の電話を歓迎してくれる。
「不動のことなんだが、サッカーやめたっていうのは本当なのか?」
「聞いたのか。たしかに帝国サッカー部には入っていないが」
「なんでだ?あいつの実力なら確実にスタメンだろう」
「俺も誘ったんだが断られたんだ」
素気無く拒絶する姿が浮かんだ。きっとそれはあのときみたいに誰も寄せ付けない。立ち入れないバリアを張ってあいつはどこかへ行ってしまう。
「…なぜ…」
呆然と出た言葉はとりとめもなく、佐久間に聞いても意味のないものだ。それなのに佐久間はまともに答えてくれた。
「わからない。俺は教えてもらえなかったよ。源田も知らないみたいだ」
俺が黙っていると明るい声で続ける。電話越しだから表情はわからないがきっと呆れたような顔をしている気がした。
「気になるなら本人に訊いたほうがいいんじゃないか?あいつなら授業が終わったらすぐ帰るみたいだから」
本当に来た。
帝国学園の前、不審者よろしく待っていたら特徴的な姿が向こうから歩いてきた。電話をかけているが目の前に飛び出すと慌てて通話を切った。
「な、にしてんの」
「お前を待っていた」
間髪入れずに答えると驚きが疑問に変わる。
「は?」
「この前、聞きそびれたことがある」
不動は視線を落とす。
「ほんっと…うぜー」
文句は無視した。
「なぜサッカーをやめた」
「だから鬼道クンには関係ないって」
「ッ不動!」
突き放すような言い方にカッとなって通り過ぎようとする腕を掴んだ。雨の日と同じような構図だ。
俺は自分が割と直情型であることに最近気付いた。以前は冷静だと思っていた自分が堪えきれないときがある。それは不動に関わっている時だ。
ざわつく感情を止められない。
「関係ないなんて、言うな…!」
それは真実なのかもしれない。一時期チームメイトだっただけの元は敵同士、今は学校もチームも違う。無関係の他人、そう言ってしまえばそうだ。だけどそれを認めたくない。不動との関係が断ち切れることが怖い。
感情は腕を伝わり握力となって不動にぶつかる。
「…鬼道クンってホントにおせっかい」
やれやれと不動は首を傾げた。呆れたような表情は微笑んでいるようにすら見える。
それになぜだかドキリとする。以前の涙ぐんだような表情を思い出すと余計に心臓が動揺してうるさくなり始めた。
「関係あるって言うなら教えてやるよ、ついてきな」
もうすぐ夕方だからか繁華街はざわめいている。多くなり始めた人を躱して路地に入ると不動は雑居ビルのドアノブに手をかけた。
「ここは…?」
答えないまま不動は中に入ってしまう。自分も後に続いていいものか躊躇したが閉まりかけたドアに滑り込んだ。
そこはこじんまりとした厨房だった。ステンレスの銀色の輝きに圧倒されてしまいそうになりながら不動の姿を探す。ただそこに居たのは白い服を着た男がひとり。
「いつもより遅かったな、さっさと着替え…って君、誰?」
作業しながら話しかけてきた男が振り向いた。誰、と言われてもなんと答えていいのかわからない。単純に名前を聞かれているわけではないのはわかる。困っているうちに男は手元に視線を戻した。どう見ても調理中だ。
「見りゃわかると思うけどココは関係者以外立ち入り禁止――」
「俺が入れた」
振り向くと白いコックコートを羽織りながら不動が出てきた。
「友達でも無断じゃダメだって」
男が再び振り向くも不動はそちらを見ずに言った。
「友達じゃねーから平気だな」
「えっ」
至極当然な男の驚きを無視したままコックコートの前を止めた不動は俺を見る。中学生が連れてきた同年齢の人間が友達じゃないほうが珍しい。それでも不動の言いたいことは何となくわかる。
「俺は友達じゃなかったのか」
「鬼道クンだって友達だなんて思ってねーだろ」
確かに、不動を友達だと思ったことはなかった。円堂や豪炎寺ならまだしも。友達とは違う感覚だ。
その共有する感覚がいつものような悪そうな笑みを浮かべさせているのだろうが格好に似合っていない。
「ここで働いているのか」
「そう。金がないんでね」
軽い嫌味を言われているとはわかっていたが黙殺した。俺は話を逸らさせるつもりはない。
「放課後、毎日?」
不動は少しだけ眉を寄せる。隠しきれない発端に俺は確信する。
「違うんだな?」
視線が逃げたのを見逃さない。追求の手を緩めない。
「シフト制だから毎日じゃないよ」
「てめっ言うんじゃねえ!」
不動は反論したがそれは認めていることに他ならない。思わぬ援護射撃にますます不動に詰め寄った。
「毎日じゃないなら部活に出られるよな?」
俺の意図はとっくに解っているだろう。不動は盛大に舌打ちした。
「鬼か!帝国の練習がキツいのはお前も知ってるだろうが」
今どうなっているか知らないが影山が居た頃の帝国は確かにハードだった。無敗の名を守るのはそう容易くない。練習と労働の両立は確かに難しいのかもしれないが俺は引き下がるつもりはない。
「お前なら要領よくやれる」
俺の言葉に尚も不動は何か言おうとしたが、呑み込んだ。
「…おせっかいの上に頑固」
「なんとでも言え」
折れた空気に顔を緩ませる。不動も諦めたような顔だ。
「ケッ…鬼道クンらしーよ」
「聞いてくれよ、不動が部に入ってくれたんだ」
嬉しそうな声。接触するといがみあっているくせに佐久間は割と不動のことが好きだ。少なくとも俺にはそう見える。
「そうか」
「驚かないんだな。もしかして鬼道が説得してくれたのか?」
少し考えて俺は答える。
「説得というほどのことはしていないが」
あれはどちらかというと不動が根負けしただけだ。
「それでも不動がサッカーを辞めないでいてくれたのは事実だからな。鬼道のおかげだ」
本当にそうだろうか。そうなら、俺は不動を変えてしまったのだ。意思を曲げさせて自分の思うようにした。それはエゴのように感じたが不思議と罪悪感は無かった。自分勝手にした後悔は感じない。それよりもいずれ見られるサッカーをする不動を思うだけで嬉しくさえ感じた。
「…そうかな」
俺の思考とは関係なく佐久間は答える。
「そうさ」
見慣れた雷門中のグラウンドに奴は立つ。腕組みをしながら見下ろす様は悪役が似合っている。
「よう。テメーのお望み通りブッ潰しに来てやったぜ」
「そんなことは望んだ覚えがないな」
不動は初めて会ったときのようにサッカーボールを踏みつけながらニヤリと笑う。
その後ろから佐久間が声を張り上げた。
「不動!ウォームアップしろよ!」
「うっせーな、わかってる!」
振り返りもしない。やっぱりこいつらは仲が悪くない、と確信して笑ってしまう。
「まあお手柔らかに。もちろんこっちも手加減はしないがな」
俺の放った挑戦的なセリフに不動はますます笑みを深める。口元の歪みは変わらないが目がぎらりと輝いている。
その楽しそうな表情のまま、ずんずんと間合いを詰めたと思えばさっきまで組まれていた腕で鬼道の肩を掴んだ。その力は痛いほど。
「ッつ…何を」
「鬼道クン」
打って変わって不動はひどく真面目な顔をする。真剣そのものの表情に俺は一瞬だけ呑まれた。それが不動に隙を与えた。
「この借りは返すから」
距離が近づいて、ぶつかって、離れた。呼吸が当たるリアルな感触にどういうことか理解する。心臓が、跳ねた。
「――不動ッ」
何歩か離れる不動の後ろには固まる佐久間が見えた。おそらく俺の後ろでも風丸や豪炎寺が固まっているに違いない。
「ははっ!ざまーみろ!」
愉快そうに不動は笑う。
ちっとも貸していないし今ので返された気もしない。でも不思議と悪い気はしなかった。
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