たった三文字



 まったくもって不可解な問いを投げつけてきたと思えば返答も待たずに事に進もうとするのだから質が悪い。はなから期待してないならば訊かなければいいのに。ただでさえ物事を複雑に考えるのは苦手だ。問題はひとつずつ処理するのが得策、厄介事は地道に潰すのが手っ取り早い。

 答えを考えているせいで上の空のままのゾロに覆い被さったサンジは体中をまさぐっている。その手つきは忙しない。
 「……なんでそうなるんだ」
 呟きは間近にあるサンジの耳まで十分届いたはずだが、応えずに背中を抱き込まれたので、いい加減にしろと頭を叩いた。
 「ってェな」
 「聞けよ。大体てめえが訊いたんだろうが」
 「終わってからな」
 口まで塞がれてはもはや喋ることは叶わない。仕方なしに舌を絡めることに没頭しようとしたが、やはりさっきの問いが頭のどこか冷静な部分でぐるぐると回って蟠っている。
 息つく暇もなくサンジはゾロの首筋を舐めた。ときどき歯を立てられると電気が走るように下のほうに快感が溜まっていく。
 けれど蟠ったものがゾロの頭を熱くさせてくれなかった。
 「てめえ、ふざけてんのか?」
 結局ゾロの疑惑は晴らされないまま、サンジの手は休まらずに事は進んだ。





 翌日は晴れていた。街並は白い石造りで、乾燥した風が爽やかに窓から入ってきてはカーテンを揺らしている。窓辺に立ちながらゾロは陸の風を吸い込み、下を眺めた。宿の外、石を敷き詰めた道では子供が走っていた。
 海賊も海軍もいない、ちっぽけで平和な町だ。
 三日で用は済むのだがここのところ長い航海が続いていた麦わら海賊団の面々はゆっくりできそうな島に羽を伸ばそうと考えた。物価も安く治安も良さそうな町に海賊に敵意の少ない島民たち。お誂え向きだった。

 サンジは呑気に眠っている。窓からの風にその長い前髪が微かに揺れた。
 昨晩の話は打ち切りになったままだ。
 島に着いてから四日目の夜、ナミとウソップとゾロは酒を飲んでいた。買い物帰りの二人に散歩をしていたゾロが町でたまたま出くわしたからだ。当然ナミは与えた小遣いから酒代を出させたのでゾロが満足いくまで飲めるはずもなく、安酒をちびちび飲んでいた。別れ際、宿代がないからと一人で船まで戻る道でサンジが酒場に入るのが目についた。
 後を追うとサンジはカウンターで店主と何か交渉しているらしかった。
 そして振り向いて初めてゾロに気付いたのか、少し驚いた顔をした。

 「…ンだ、お前…」
 「酒か?」
 サンジの手には一本の酒瓶。大きめの瓶はゾロの好みの酒に見えた。
 ゾロの台詞にやや不満そうに眉を顰めたサンジはそれを抱えてゾロの隣を擦れ違う。
 「テメェはハイエナか。人の酒、狙ってんじゃねェよ」
 あんまりな言い様に今度はゾロが眉を顰めた。そして扉の前で立ち止まったサンジの台詞のせいで眉間には皺がますます寄った。
 「体と引き換えなら、くれてやるぜ?」





 体を合わせるのは初めてではない。サンジに押し倒されて一線を踏み越えたのが始まりで、今では気が向けばゾロから誘うことすらある。晩酌を終えたあと、島で偶然一緒になったとき、戦闘後。特にきっかけはない。気の向くまま。ゾロは伸ばされた手を拒むことだってある。
 とはいえ、強行なサンジを拒みきれることは少なく、その熱に当てられて結局のところ許してしまうのが常だ。そうして流されてしまうあたり、凪いでしまう程度の拒絶なのだと、ゾロは知っている。
 どうしたってあの体の具合の良さには心が揺らぐ。
 最悪なことに、二人の相性は最低だったが体の相性は最高だったのだった。
 だから相手をするのは面倒でもついつい同じ夜を共にしてしまう。





 「早起きだな」
 目だけ開けたサンジがこちらを見ていた。光のよく入る部屋の中、青っぽい瞳はほとんど色がついていないように見えた。
 「てめえがいつもより遅いだけだ」
 手を伸ばしたサンジは先に時計をとって「本当だ」と言い、中毒者らしく煙草の箱とライターを取り出す。
 「だらしねェ生活」
 笑うように呟いた。
 寝腐れているのが常のゾロには持ち得ない感想だったが、海賊が寝過ごしてだらしないもあるまい、と思う。昔から規則正しく働いてきたサンジには陸での寝坊すらも乱れたリズムなのだろう。些細な感覚の差すらも合わないのだから笑える。
 そのくせ暇があれば啀み合い、果ては口付けすら交わす。仲が悪いだなんてどの口で言うのだろう。

 サンジが煙草を銜える前に、ゾロはベッドに近寄った。体重をかけるとそれは軋みサンジは顔を上げる。目は開いたままキスをした。先程は白んでいた瞳は覆い被さったゾロの影で暗くなる。
 「今更だな。俺たちがだらしねェのは」
 「……」
 「もうやめるか?」
 何を、とは尋ねなかった。ゾロは代わりにサンジを押し倒した。
 返事をするのも馬鹿らしい質問だった。

 サンジは首を横に振って追求を逃れようとしたが許すつもりもなく舌を突っ込む。唸りながらゾロの体を押し退けようとしたがもちろん力で敵うはずもない。うるさい両手をひとまとめにして頭上で押さえつけるとそのうち静かになった。
 「だったら、今度は俺がてめえを抱く」
 サンジはあからさまに驚いた顔をすると鼻で笑った。
 「できんのかよテメェに。今までそんな素振り見せなかったじゃねェか」
 最初が最初だったせいか、二人の役割は決まっていた。サンジは提案させる気がなかったしゾロもしなかった。その気がなかったわけではないが、しない理由くらいはあった。
 「そうすりゃあいいんだろ」
 「…?」
 「そうでもしなきゃわかんねェんだろ」
 半ばヤケのような呟きですら包み隠さず届いてしまう距離だ。
 「ふざけたこと言ってんじゃねえ。俺がいつ、好きじゃないなんて言った?」
 本当はそんな当たり前のことを言うつもりは無かったのだ。
 それを言わせるのはこの男の阿呆さ加減が度を超しているからに違いない、とゾロは苦々しく思う。
 「まだ、覚えてたのか」
 昨晩、酒場で会ったときと同じように驚いた顔をしたサンジは呆然とした声だった。


 ゾロに不可解な問いが投げつけられたのは同じベッドの上で二人が逆の立場にあった時だった。ゾロを押さえつけたサンジは勝手極まりない態度で口付けてきた。反論は認めないと言うように声を奪われて、意味のある返答をすることはできなかった。
 けれど、言い返したくて堪らなかった。ゾロの中では言葉が渦巻いていた。
 「忘れるかよ。胸糞悪ィこと言い逃げしやがって」
 怒気の混じる口調にサンジは目を逸らす。まるで煙草を銜えているように尖らせた口は拗ねているらしかった。
 「……本当のことだろ?俺ばっかりだ。いつもテメェを探してるのは俺だ、テメェは俺より酒のほうが好きじゃねェかよ」
 サンジの目線を追うと昨晩のうちに胃へ流し込んだ残骸があった。茶褐色の酒瓶は日光が当たってつるりと光っている。
 それで、ゾロはやっと昨晩のやりとりを思い出した。
 ゾロを一目見た時の驚いた表情。あれは遭遇に驚いたわけではない。
 「アホか。俺だって、昨日…」
 サンジの思った通りの行動をしたのだ。そう教えてやるのに躊躇いはあったが、仕方なしに言葉にする。
 「酒場に入ってくテメエを追いかけた。そりゃあ酒も飲みたかったが、テメエがいるからだろうが」
 ただ酒を飲みたいならばナミやウソップと安酒を飲んでいればいい。ゾロが船に戻ろうと思ったのはサンジがいないならば寝たほうがマシだと思ったからだ。
 そこにサンジが通りかかった。だから後を追った。
 「大体、好きじゃなかったら、許すはずねえだろ」
 わかりきったことだ。嫌いな奴になんてどうして肌を許すのだ。ましてや無防備に急所を晒すような行為、迂闊にできるもんじゃない。仲間という立ち位置を踏み越えてもいいと思ったのはサンジだからに他ならない。たとえ役回りがどちらであれそれは同じ、ゾロは簡単に体を差し出しているわけではないのだ。それが態度に表れていなくても。
 頭を引き寄せられてサンジの鎖骨に鼻がぶつかった。でっぱったその部分の骨は急所なのだと聞いたことがある。つまりここを砕けばゾロは簡単にサンジを殺してしまえるのかもしれない。そんな距離に二人はいる。


 何の匂いもしないのは昨晩からずっと一緒にいるせいで鼻が馬鹿になってしまったからだ。酔った触手は上手く機能しない。在るのが当たり前でその手触りの心地良さすら惑ってしまう。
 そうして体の一部になってから切り離すのはひどく苦しいだろう。好きだと口にしなかったのは、そのせいかもしれない。
 「てめえばかりだと勝手に決めるな」
 言ってしまえば消えそうで。形になれば壊れそうで。簡単なことすらも喉につかえる。気持ちは言葉の大きさを成さず、すぐに空気に溶けてしまう。確かに感じるぬくもりはゾロの胸に落ちるばかりでサンジに解る形にならないまま。
 サンジの喉元にぶつかった声はくぐもっていた。そこから顔を離して灰青の瞳を見つめる。片方だけのそれは何か言いたげにゾロを見ている。
 「俺だって…」
 言いかけるとサンジの手がそれを遮った。口を被われ眉を顰める。
 「もう、いい」
 「…よくねえ」
 先程よりももっとくぐもったゾロの台詞はまったく無視したまま、サンジは首を振る。
 「伝わればいいんだ。俺にはもう伝わったから、いい」
 その目が真剣すぎてゾロは反論もできず、とりあえずばさりとサンジを抱きしめておいた。とっておいた三文字の代わりがそれ以外に見つからなかったのだ。





 白壁の町並を二人で並んで歩いた。真昼の光は壁にはねかえってやたらと眩しく、ゾロは自然と目を細めていたので、横を通る子供すらが遠巻きにしている。何故だか可笑しくなってサンジの腕を引いた。
 「ん?なんだよ」
 特に用事があるわけじゃない。後ろ頭を掻きまぜるとサンジは納得したようにポケットに突っ込んでいた手をだした。
 「つなぐか?」
 何の意図もないようだった。和やかな陽気の降り注ぐ、細い住宅街の中の路地。鬼ごっこにはしゃぐ子供くらいしか通らない道だ。ゾロたちのような余所者も、島民たちですら姿がない。
 ゾロは少し躊躇ったが、その手を握った。
 サンジと一緒にいると感じるぬくもりが手から広がっていく。
 もしかして、これが三文字のかわりの、ひとつなのかもしれないとゾロは思った。





書いた日090527  行き違い